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思いついたことを書き起こして考えを整理させてます。

茨歌仙について語る。

茨歌仙最新話を読んで心が爆発しているのでアウトプットしました。
単行本派に配慮して内容に触れるのは9巻にある内容まで。


異端キャラな華扇
茨歌仙の記念すべき第1話にて、霊夢はマジックハンドをご神体に仕立て上げようとし、魔理沙は寿命を延ばすことに興味津々な様子を見せます。そんな二人に対して華扇の行動は『鳥から噂を聞いた』だの『過去に行ったことを全て思い出す』だの妙に神秘的です。まぁ例の顔はそんな雰囲気をぶち壊しにしていますし、のちにガンガン壊していくわけですが。
東方キャラは往々にして俗っぽく、欲に正直でふてぶてしいところがあるように感じます。私はいつも『少女っぽい』と形容していますが、華扇はこの少女っぽさから外れたキャラな気がします。

-見え隠れする後ろめたさ
まず華扇はよく隠蔽や暗躍を行います。ちょっとした問題を解決しても黙っていたりすることが多いですね。暗躍は紫や文などもやっていますね。ただ二人は好んでやっている節が見受けられます。だっていつも笑ってますしね。紫に関しては天則のチルノの勝ちセリフなんかが印象的です。
ただ華扇はどうも後ろめたさというのが出ています。1巻における「人間と旧地獄の繋がりを封じたいだけ」という独白や2・7巻における逃亡などなど。2巻では記憶消去までやっていますからね、本当に裏活動はバレたくないんでしょう。
あとは腕について聞かれたときの反応なんか、東方ではあまり見ない塩らしい反応をしますね。3・4巻で見られるのでぜひ確認してみてください。

-仙人なのに下降志向
仙人という肩書きこそ持っていますが、同じ仙人である神子ともまた違っています。
3巻にて神子は人間を超えたかったから仙人になったと発言。尸解仙の人体実験をするわ、マント羽織って高笑いするわで極めて上昇志向の高いキャラですからね。説得力があります。黄昏作品では賢いところを幾度か見せていますし弟子もたくさんいる辺り、目的を達成するために相当に修行したのでしょう。
人間から人外を目指すのに一番まっとうな選択肢が仙人になることだと考えれば、仙人というのは大体神子のように才があって上を目指したがる人が多いのでしょう(彼女は欲が過ぎる気もしますが)。

一方華扇はどうでしょう。茨歌仙ではモグモグとモノを食べているイメージがありますよね。仙人は「霞を食う」などと言われる通り食事は必要ないはず。それにああいった姿って庶民さの極致じゃないですか。仙人という肩書やたまに見せるシリアスさの割りに『華扇ちゃん』とちゃん付けで呼ばれがちな理由はこれが大きな理由でしょう。神子との対話でも「人に近づきたいから仙人になった」など言っていて、紫に対してはあなたとは違うとの発言をしています。人外であることを拒んでいるようです。
小町の言うように(5巻)所詮は仙人の真似事っていうことでしょうか。記憶の消去は仙術のようですし(7巻の神子より)、憑依華の神子スレイブ時の勝ちセリフからも仙術を使っていることは確からしいんですけどね。

ちなみに食事ですが、東方恒例の飲み会を除けばめちゃくちゃ多く描写があるわけではないです。2巻の団子屋、3巻での団子と芋の食い歩き、4巻で酉の市のおでん串、飛んで8巻の境内の屋台の焼き鳥と持ち寄りのタケノコ、9巻で命蓮寺屋台の団子といった具合。表紙でモグモグしているときもあったりしますし、いつだかの購入特典や黄昏作品ドットでもモグモグしてます。少なくはない。

-アレなのにトゲが少なめ
また華扇はどう見てもアレですが、そういう面ではどうか。
東方のキャラは基本的に種族に誇りを持っています。月の兎は地上を馬鹿にするし、天狗は別の種族を貶す記事書くし、吸血鬼は地上で最強などと自負していたりします。茨歌仙内でも6巻でマミゾウが「妖怪は自分を人間より上だと思っている」との発言をしていますね。

で、華扇ちゃん。2巻では人間の知識を実践したうえで褒めたたえ、ちょくちょく本を見て勉強している様子もあります。4巻では明確に酉の市=人の文化について本から学んできたようです。
これはアレとしては異端も異端ですよね。人に近づきたい、っていう時点でもそうなのですが本当に人への抵抗がない。自ら進んで人の知識を学び、褒めるなんていうのは屈辱といってもいいはずなのですが。ここらへんは『仙人は人の味方!』を実践してみせているという見方もできますね。

あ、ちなみにこの平等さは人間にしか適用されないので「化け狸風情が」なんて発言しますし地底に関しては「棲んでるやつらは正気の沙汰じゃない」などと評し、深秘録の勝ちセリフでは布都へ「そんな低レベルの仙人と一緒にされたくない」とおっしゃいます。董子へ「妖怪を恐れないなんて愚か」と言っている辺りからもプライドが無いわけではないと分かります。素が出てるよ華扇ちゃん。
あと勉強についても神仏には弱かったりします(3巻)。まぁ詳細を知らないだけで神性については理解している様子ですが(9巻)。この9巻の話は前振りっぽいので要チェックです。

また華扇は嘘こそ吐きませんが、人を騙しはします。上記の隠蔽もそうですけど、そもそも仙人っていうこと自体正しいのかギリギリです。アレからすれば嘘は一番やっちゃいけないことのはず。個人的にここは『本当のこと言ってないだけだからセーフ』理論を通しているのだと思います。華扇と言えばギリギリ矛盾してないダブスタっていうのが私のイメージだったりします。
いやホント。自分ではドヤ顔しまくるくせに、他人がドヤ顔すると明らかに嫌そうな顔するところとか本当に好きです。


華扇の関心
こんな風に神秘的で庶民的、アレなくせに仙人な華扇ですが矛盾はここに収まらず。彼女は仙人のくせにアウトローです。5巻ではトカゲに龍にする試験の一環で人の家燃やすよう促してますからね。取り壊しの予定の家だったし、人も避難させたとはいえ少し荒っぽい。被害が出ないからセーフという理論も華扇らしいなぁと思うのですが。
そんなことしてまで何がしたいのか。関連しそうなアウトローポイントと一緒に華扇と関係がありそうなモノを書いていきます。

-華扇と結界 -アウトローポイント1 結界破り-
博麗神社は結界の堺目になっているという話は茨歌仙以前から分かっているし、作品内でも後にも触れられることです。そんな神社に近づいた華扇へ4巻では萃香が「外に腕を探しに行くのだろう(意訳)」とアタリをつけ(華扇は内心否定している)、7巻ではマミゾウが「神社を乗っ取って悪だくみしているのは一目瞭然」とイビり出します。実際5巻では華扇が霊夢たちに結界について質問し、解説を享受しつつ意味深な表情を見せています。
大立ち回りを見せた深秘録では華扇は異変解決のためとはいえ結界をぶち破るという反則行為をしています。しかも複数回。これは重大違反。しかもその上で茨歌仙内でも董子を使って外のモノを持ってこさせたりしています。華扇と結界というのはやたら関わりがあります。

第1話にて「俗界に興味が湧いてきた」とのことで華扇は神社に通うことになりました。実際読むと分かるのですが、ここの流れはやや不自然なんですよね。初めて読んだときは神主さんとは言えども漫画まで万能とはいかないのかなぁと思っていましたが、今にして思えば『華扇は結界にえらく関心がある』と仮定すれば強引に近づこうとしたのも納得、っていうのはこじつけですかね?
知っての通り第1話にて博麗神社に河童の腕(って書かれた箱に入ったマジックハンド)が奉納されるところから茨歌仙は話が始まります。酒なんかも勝手に奉納されることがあると霊夢が言っていましたが、それらって外から流れてきたものなんでしょうかね。主役たる華扇と結界っていうのは最初から関連付けされたものなのかも。

結界の飛び越えについては7巻で紫が華扇をイビっています。7巻はイビり巻ですね。
まぁとにかく、近づけば目を付けられるっていうのに華扇は結界の近くに居続けます。どうして? そもそも結界を破れるのはなぜ? 華扇と結界の関係は怪しい匂いがプンプンします。
どういう目的で結界に近づいているんだ華扇。

-華扇と地底 -アウトローポイント2 怨霊潰し-
初期から定期的に登場する組み合わせ。黄昏作品でのこいしへの勝ちセリフからはお姉ちゃんと関わりがあることが分かります。まぁアレだから関わりがあるんでしょう。
まず全体的に華扇は地底が嫌いのようです。上記のようにボッコボコに言っています。あと地底からあふれ出る怨霊は容赦なく潰します。1巻で潰して6巻でまた潰してますからね。「人間と旧地獄の繋がりを封じたい」との発言は伊達ではない。

この怨霊を潰す行為、本当にやっちゃいけないことです。罪人の魂=怨霊は地獄で罰を受けて反省をし、そこから消滅という流れが地獄におけるルールです。華扇ちゃんそれ無視してますからね。1度目は「元々地上にいちゃいけないものだからセーフ」という理論を言っていましたが、「良いことしてるように見えるはずなんだけどなぁ」という発言から見るに詭弁のようです。それに2度目は地底でやってますからね。言い逃れは不可能。
「そもそもなんで出来るの?」っていうことからして疑問なわけですが、まぁここには腕が関わってくるんでしょうね。華扇は本当に話がうまく絡み合っているキャラです。

2回目の怨霊潰しと同じく6巻にて華扇が地底をボコボコに言っているセリフの中には「鬼じゃなきゃ正気を保てまい」というものがあります。地底はロクなところじゃありませんが、鬼ならば大丈夫ということなんでしょうか? この後、華扇は好奇心で地底に降りてきた魔理沙を連れてさっさと帰ります。「旧地獄の空気は間欠泉センターよりも有毒」とのこと。少しこじつけ気味ですが1巻にて華扇は間欠泉については「硫黄ガスが充満して人間には有毒」と言っています。人間には、です。
たくさん貶しているのは人間視点の話であって、鬼には関係ないのかも。自分で来ておいて魔理沙を見つけて早々に帰ったのは、人間である彼女の体を気遣ってなのでは。
つまるところ人に近づきたい華扇にとっては地底は悪しきもの。そうではない華扇にとっては好きでも嫌いでもない場所、ということなのではないでしょうか。

-華扇と腕 -アウトローポイント3 隠蔽-
ずーっとずーっと言われていること。華扇の右腕はつかむと妙な感触がするし、巨大化だの腕だけワープだの色々できるし、深秘録では本体の攻撃がすべて腕を使っているうえに都市伝説は「猿の手」。怨霊潰しもすべて右腕によって行われています。かなり特徴的なパーツと言えるでしょう。
「片腕有角の仙人」とあるように包帯の中身は空っぽのようなのですが、華扇は1・3・4巻にて腕と聞けば飛びつくほど執着している様子。茨歌仙はそもそも華扇が腕を見に来たところから始まりますからね。

腕とあらばご神体には安易に触れるし不法侵入もする。華扇ちゃんの目的はなにか、と言われればこれが大本命でしょうね。まぁかなり腕とフィーチャーされる華扇なんですが、実際のところ腕について分かっていることはほぼありません。何か謎があって、華扇の現在の右腕には凄いパワーがあるというくらいしか分からない。
そういうわけで書けることというのはあんまりないのですが、腕が関わることにはなりふり構わないあたり、華扇の隠蔽行動も全部これに起因しそう。

アウトローポイントだけで言えば色々ありますよ。一覧をどうぞ。
1巻:2話にて怨霊潰しを秘匿。
2巻:6・10話で事実の秘匿。9話で逃走。
3巻:11話の不法侵入を秘匿。13話にて事実の秘匿(河童にとばっちりが飛ぶ)。
4巻:16話にて勇儀との関わりを秘匿。17話にて詐欺(あとでバラす)。20話にて問題解決を秘匿。
5巻:24話にてなんかもう色々秘匿(ちなみにこの回の線の太いタッチは必見)。
6巻:地底との関係を秘匿(関係があるのは確定ではないけど)
7巻:33話・34話にて董子との密会。35話で逃走。
8巻:無し(快挙)。40話の忠告がどうにも遠回しなのは気になる。
9巻:無し(凄いぞ華扇)。42話で宴会に来ないというのは逃走に入るか。

ちなみに霊夢は宴会を開いてまで自分のやったことを広く知らせますし、東方キャラは往々にして存在アピールが好きです。そもそもスペルカード戦がそういうものだし、異変もそうするとファニーウォーみたいなところありますからね。派手なお遊びが好きな連中です。
そんな中で隠蔽に励む華扇はやはり異端ですね。


茨華仙の進む道
7巻収録35話「茨華仙の進む道」は私にとっては大変な回です。初めて読んだときは「は?」って思いましたし、今でもそう思っている節があります。
「私の理念は天道とともにある!」
妖怪のため幻想郷のためと働く紫に対し、華扇はこう言い放ちました。この回では少しばかり「人間のために」という言葉が強調されています。この宣言をした背景に映っているのは人間ばかりということも考えるに、天道とは仙人らしく人の味方をすることでしょうか。しかし華扇が天道というほどにふさわしく晴れ晴れとした道を進んできたかというと、まったく違うでしょう。

何度も言いますが、怨霊潰しは地獄のルールに反します。また結界破りは幻想郷=妖怪のための場所のルールに反します。とはいえ華扇は地獄をぶっ壊そうとしているわけでもないし、幻想郷を壊そうとしているわけでもないです。
深秘録では(第一目的は別にあったとはいえ)頑張って幻想郷を守ろうとしていたわけですしね。霊夢にも人のために働くよう促しています。大量の隠蔽をしながらもまぁ良い行動はしているのです。でもそれって『天道を進む』とは言えるのか。
そういうわけで個人的にこの発言にはかなりの違和感があります。華扇=ダブスタはここからもできているイメージです。まぁ単に『人のために働く』っていうだけの意味合いならダブスタはないのですが。
またこの場合であっても『人のために働く』っていうのは仙人の要素であるため、仙人のフリをしていたいから紫と一緒にしないで欲しいという意味にも考えられるかも。これはこじつけかな。

まぁとにかく、いまだに目的がハッキリしない華扇。輪廻に反すると分かっていながら(3巻)寿命を延ばすために仙人をしている(4巻)ということから長生きはしたい様子。天道とともにあるという理念とはなんでしょうか。長く生きないとできないことなのか、それとも天道というのは仙人を隠れ蓑にしているうえでの建前? 何が華扇の正義なのか。
うーん良く練られつつ、謎があるキャラクターですね。華扇の言う天道の行く末はいかに。


さて色々書いた。茨歌仙はこんな風に色々なことがふんわり書かれている作品です。単純に絵も可愛らしく、それだけでも楽しめるほどですよ。作画について語るのはまぁまた今度で。なにせこの記事だけでも書くのにめちゃくちゃ時間がかかっている。まさか二日またぐとは。
華扇はこういうキャラであろうという、ハッキリとはしないけど根本的な部分っていうのが分かるっていう素敵な作品です。ダブスタもなんとなくこういう理屈だろうっていうのが分かりますしね。


=おまけ=
いやぁ最新話ですよ最新話。内容には触れませんがね。色々びっくり。「あぁ多分これはこうだろう」と予想がつく部分もあるあたり、茨歌仙という作品は謎を散りばめつつもやるべきことをやった筋道が通った作品なんだろうとつくづく感じさせられます。

ここまで読んでくれた方はよほど熱心ですね。ぜひとも茨歌仙に触れて楽しんでみてくださいな。お疲れさまでしたー。

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