トップをねらえ2!考察 なぜ宇宙怪獣とフラタニティが戦っていたのか?
以下、トップをねらえ2!の重大なネタバレあり
トップをねらえ2!の構造
トップをねらえ2!とは宇宙パイロットに憧れる主人公ノノとバスターマシンと呼ばれる兵器を操り宇宙怪獣と戦う超能力者「トップレス」の少年少女たちの物語です。宇宙怪獣らは強力無比。どんな戦艦であろうと倒すことはできない。バスターマシンを除いては。トップレスの中でも選りすぐりが集められた集団フラタニティの宇宙怪獣迎撃部隊たちはバスターマシンとともに人類の平和を守っていた!!!!
というのが4話までの構造です。
トップをねらえ2!を視聴した方はきっと4話の展開に度肝を抜かれたことでしょう。
ディスヌフ、あいつは何だ……? 凄まじい悪意が人間を否定してる……!タイタン変動重力源が目覚め、フラタニティの部隊でさえ倒しきれぬ宇宙怪獣の大群を一撃で殲滅。星を壊し、バスターマシンを壊滅させ、遊び半分で戦っていたトップレスたちは泣き喚き、物語の根本がどんどん壊れていく。
え? “本物の" 宇宙怪獣? じゃあ、今まで戦ってきたものは一体!?
そこに登場する本物の宇宙怪獣という言葉。
あれほど観客を揺さぶる演出はなかなか見れないことでしょう。前作でのメイン機であるガンバスターの初登場シーンのBGM「バスターマーチ」を思わせる曲で、前作の宇宙怪獣が登場してくるのですから。
これは一体どういうことか? 5話の冒頭にて宇宙軍の副官から解説がされます。
・赤い天の川と呼ばれている宇宙怪獣の群れは実は太古のバスターマシンであったややこしい話ですが…この記事ではトップ2!作品内に合わせて旧来の宇宙怪獣を変動重力源、太古のバスターマシンらを宇宙怪獣と表記します。
・バスターマシンらは宇宙怪獣と戦うため進化し、その姿を変えていった。宇宙戦闘に特化していった結果、敵の宇宙怪獣に似てしまった。
・本物の宇宙怪獣とは、変動重力源と呼ばれていた星の生態をも変えてしまう強大なものであった。
・それらの脅威は赤い天の川によって人類に届いていなかった
・姿を変えたバスターマシンが人類に襲い掛かってきたのはトップレスを宇宙怪獣と同じ脅威と感じたから
本当の人類の敵はトップレスですら届かないほど巨大な敵だった。それどころか、宇宙怪獣たちに人類の敵として認識されておりむしろトップレスがいること自体が危険なことであった。
世界構造が一変した。5話Aパートはそんな風に始まります。
これをまとめると、今までフラタニティと宇宙怪獣が戦っていたのは戦力を減らすだけでまったくの無意味ということになります。
これを踏まえてか、過去に投稿されたトップ2!の感想記事を見ると「今までの展開なんだったんだよ」「勢いでいい感じに話作ってるだけ」といった意見が見られます。
が、ハッキリ言ってそんなわけないじゃん。というのが私の意見です。
バスターマシンの意思
5話の冒頭の解説、上記太字の部分は宇宙軍の推察としてはともかくメタ的視点からは明らかにおかしいことがわかります。それを証明するのが第1話、ディスヌフがラルクの指示に逆らいバスターゲイターを中止したシーンです。
ラルクにディスヌフが逆らうなどということは初めてであると第2話にてカシオが言及しています。彼自身、ディスヌフのパイロットである過去がありこの意見は専門家としてかなり重要視できるでしょう。
そう。ディスヌフはパイロットに逆らおうと思えば逆らうことができるのです。
これはバスターマシン7号が巻き込まれる可能性があったからなのか、非戦闘員が巻き込まれる可能性があったからなのかは不明です。ドラマCDを踏まえるとおそらく前者かと思います。
ともかく、ディスヌフが自分の意思で行動を選択できる余地があることは間違いないでしょう。
もしバスターマシンらがトップレスを敵視しているというのなら、もっと早くにラルクを攻撃していたのでは? 宇宙怪獣らと戦闘なんて中止するのでは? しかしディスヌフはそうはしなかった。
宇宙怪獣たちとは製造時期が違うことから思想も異なるのではないか? という線は薄いと思われます。
まずディスヌフはシングルとまでは行かずとも、10番台の歴戦の勇士。縮退路が本来のエンジンであり、艤装の中には古代文字の落書きがされているほど。変動重力源がなんなのかを知っているほどです。宇宙怪獣たちにかなり近い存在のはず。
とすれば。バスターマシンと宇宙怪獣が戦うのは彼らの理念に沿っている。宇宙怪獣はトップレスを狙っているのではなく、トップレスとバスターマシンと戦うために太陽系に降りてきていた。そう考えられるわけです。
バスターマシンと宇宙怪獣の果てしない演習
次に気になるのは「ではなぜバスターマシンと宇宙怪獣が戦う必要があったのか?」ということです。それはディスヌフが人類に逆らったもう一つの行動から推察できます。
ディスヌフが嫌がったそうだ。脳幹を掠めて貫通している。第5話にて、カシオがディスヌフに刺さった角を修理しない理由をこのように話しています。これはディスヌフの、つまりはバスターマシンの意思です。どうでもいいですが戦闘経験値という概念はパトレイバーを思い起こしますね。
(中略)下手に弄ると貴重な戦闘経験値ごと失われるかもしれない。
ディスヌフは戦闘経験値を重視しているのです。だから、宇宙怪獣と戦うことを厭わない。フラタニティと宇宙怪獣の戦いは戦闘経験値を積むための演習だったのでは? と考えられます。
そうすればトップレスの増加とともに宇宙怪獣の出現が増えたことの説明がつきますね。トップレスを倒すためではなく、演習を増やすためです。
フラタニティの一部ら(設定等見るにパシカ、グルカ、ロイあたり)は遊び半分で戦っている節もありますが、まあそれで良かったとも言えますね。所詮実戦ではないのです。ドラマCDにおいて、バスターマシンの戦闘で人が死んだ実績は(少なくとも作中近年では)無いとされています。
いくつもの宇宙怪獣を犠牲にして生まれた戦闘経験値。これがフラタニティが戦ってきた意味になるのです。
ちなみにですが木星急行は演習目的で動いていたのではなく、パトロールのために動いていたのではないかと考えています。実際太陽系内に変動重力源がいましたし。南トラスに突っ込んで行ったのは戦闘を避ける迂回のためか、キャトフヴァンティスとぶつかるためか。
努力と根性の塊、戦闘経験値
次の疑問は「バスターマシンは戦闘経験値を貯めてどうしたかったのか?」ということです。強くなるため? でも経験値なんて積んだところで変動重力源にボコボコにやられたじゃないか。やっぱり無意味なのではないか。そうではないでしょう。
第6話にて最強の変動重力源、エグゼリオ変動重力源(第三形態)が現れました。この変動重力源は凄い。なにせ過去に同類が殲滅させられたブラックホールを自身に取り込み、バスタービームは軌道を変えて跳ね返してしまう。過去の戦闘での敗因から成長しているのです。
その象徴としてか、形がガンバスターの顔に近いのは続編ラスボスのデザインとして素晴らしいものがあります。
宇宙怪獣たちが姿を変えたように、変動重力源も成長して人類に立ち向かっているのです。
これに対し人類はドゥーズミーユおよび質量兵器で立ち向かおうとしましたが、宇宙怪獣たちの塊であるダイバスターに阻止されます。
無数の宇宙怪獣、つまり無数の縮退路から成り立つこのロボの出力はガンバスターの比ではないでしょう。そもそも両手で物理法則を捻じ曲げるバスターマシン7号が中心なのです。出力など数値にできるものではありません。
しかし、ダイバスター本来の動力源はエグゼリオ変動重力源が持つブラックホール。つまり本物のエンジンはエグゼリオ変動重力源が持っている。ダイバスターに出力では勝ち目がないのです。
ダイバスターはなす術なく叩きつけられ、ついには両腕を失います。
人類の作戦を妨害したダイバスターがやられていく。なんと間抜けな話か。
しかし、そうじゃないんです。バスターマシン7号は、ノノは地球を諦めたくなかった。それがノノリリの帰る場所で、ラルクとの約束の場所であったから。
なにより、勝てると信じていたからではないか。これが私の結論です。
なにやってんだ、ノノ。本来の動力源を宇宙怪獣から取り込み、覚醒したバスターマシン19号。ダイバスターから飛び出したバスターマシン7号。
痛いことや苦しいことをありがたがるなんて、馬鹿みたいじゃないか!だけど、それが人間ってことなんだ。
強さは体の大きさじゃない!心の力だ!そうなんだろ、ノノ!それが、努力と根性だ!
二人が頼ったのはブラックホールといった物理的最高の動力源でも、トップレスという未知の動力源でもない。努力と根性、すなわち戦闘経験値ではないか。
第3話にてバスターマシンの目覚めについて描かれました。90番代まで続くバスターマシン等の目覚めには、みなチコの決意と同じくらいの思いが込められているのでしょう。
そしてディスヌフの落書きに込められているように、歴代パイロットたちもまたそれぞれの想いを背負って戦ってきた。
戦闘経験値はそんな彼らの思い、努力と根性の塊。
超巨大ブラックホールの動力源へ、二人は歴代パイロットたちの努力と根性で立ち向かって行ったのです。
イナズマダブルキックは、12000年分の努力と根性が詰まった人類の最終兵器と言えるではないか。
本当の力はブラックホールでもトップレスでもない。人類の思いなのだ。それがラルクのセリフに詰まっている。
まとめ
バスターマシン7号はノリコとカズミへ「おかえりなさい」を伝えるための努力と根性で生まれたマシンであるという確信。なぜエグゼリオ変動重力源が敗れたのかという疑問。
この二つが繋げられたのがこの結論でした。
SF的に言えば、7号のブラックホールを産む出力と19号の学習データによるサポートの合わせ技で人類は守られたのでしょう。
しかしこの作品の伝えたいことはそんなことではない。12000年の努力と根性によって、人類は何もかも諦めずに勝つことができた。
フラタニティの戦いはそんな努力と根性の一部です。無駄などでは決して無いものだったと私は断言します。
努力と根性にまつわる話、ノノとラルクの話についてもっと語りたいところですがこちらが詳しいので割愛。
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