異変という存在アピール
まずスペルというものが遊びということが大前提にあります。そしてBADENDを見る限りは自機たちは何度も向かっている感じなので、いずれ異変は解決するのは決まっている。だったら異変は自分たちの思いを発表する場に過ぎないなと考えていました。
スペルも含めて自己表現するのが異変、というのが私の考え。なので異変は全部存在アピールなんだとばっかり思っていました。
妖怪は存在アピールをしていかないと生きていけない。そしてスペルカードは見栄え重視の派手なもので、巫女っていう必ず異変解決に来るヒーローが存在している。つまり異変を起こせば派手にドンパチする相手ができて存在感がドーンと出る。
異変は妖怪が生きるためにあまりに都合が良いんですよ。
まぁ「マジで戦ったらまずいのでスペルカードのルールに従って決闘しよう、それで自機に勝って本懐を遂げよう」という風に本気で異変を起こしているのもあり得そうではありますが。
でもこれは異変を起こす建前で本当の狙いはただ知ってもらうことなんじゃないかなぁというのが私の認識です。隠岐奈はそこに正直だっただけで。
歴史から見るにみんな自分の本心だけで動くと体が悪いからと大義名分を求めますからね。
けど例外もあると思いますよ。そういうつもりじゃなかったけど過失で騒ぎになったなんていう異変たくさんありますし、紺と輝は真面目に異変に取り組んでいたようですし。緋と憑は単純にひどいワガママで異変が起こっていますね……。
でも異変の本質はそうじゃないんだろうなぁと。
まぁスペルカード、異変に関しては「ゲームとしての見栄え」「作品内での建前」「作品内での本当の意味」が絡み合っていてよく分からないですね。各作品のおまけ見る限り神主さんもそこらへん曖昧な気がします。
境界があいまいな世界こそ東方ですから、厳密解は求めずこれ以上は考えなくていいんですよ。
結局は遊びとだけ分かっていればいいのかなと。ゲームとして見る場合も作品内の視点から見る場合も。存在できるかどうか以前に、派手な遊びでもしないと人生は退屈でしょうがないですから。
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