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思いついたことを書き起こして考えを整理させてます。

マクロスシリーズ

6/1(土)にマクロス・クロスオーバーライブ2019の1日目に行ってきました。
2日目は日曜ということで、いやぁ日曜の夜に遊ぶのは厳しいなぁと最初から断念していました。無理は禁物です。
内容としては最高に最高でしたね。Remember16が聞けるとは。

さてマクロスという作品ですが、三つの要素で有名です。

-男心を掴んで引きずり込んでくる戦闘機から変形する”ロボット“
-流行りを捉えつつ熱量を感じさせる“歌”
-イライラしてくるくらい視聴者に感情移入させてくる”三角関係“

あらゆるロボットアニメでメカニックデザインに携わる河森正治さんが中心となって作られたシリーズなのですが、まぁこのシリーズのメカ変形機構は凄い。プラモデルや超合金で実際に映像通り動かせるっていうんだから作り込みがえげつない。
このメカを使って戦闘の映像がすごいのなんの。カッコいいんですよ本当に。実はMMD作ってるときにこの作品を意識してたりします。

歌はその当時の流行りを取り入れつつ、はちゃめちゃに強い音楽を常に作ってきます。マクロスシリーズにはまるとCDが山になる。
初代:アイドルブームに合わせて可愛くリズムの良い歌謡曲なミンメイ曲
7:バンドブームに合わせて熱いロックなバサラ曲に、心地良いバラードなミレーヌ曲
F:カッコいい女性シンガーブームに合わせてシェリル曲(ランカ曲はブームより演者さんに合わせた感じがある)
Δ:グルーブアイドルブームに合わせて、スタイリッシュな電子音が特徴的なワルキューレ曲
どれもまぁ素晴らしいこと。色が被らないので本当に飽きないんですよね。

三角関係はFのシェリルランカ論争が有名じゃないでしょうか。
初代やFでは特に強く押し出された要素で、まぁちょっとえげつないんじゃないのっていうくらい描写される。見ていてなかなかイライラハラハラさせてくれます。
別にドロドロ恋愛楽しい!ってだけではなくてね。魅力的なキャラが多いんですよ。論争が起こるのも分かる。ちなみに私は初代マクロスにおいて未沙過激派で、ミンメイをボコボコに言う節があります。あいつは人の感情がない。

しかしまぁこのシリーズ、こんなに面白い点がありながらもずーっと若干のマイナーさが漂っています。なにせテレビ版の放送時機がかなり離れている上、クセが強くて人に勧めにくい。
年表にしてみると分かりやすいでしょう。


1982年:超時空要塞マクロス(初代) 3クール
1994年:マクロス7 4クール+3話
2008年:マクロスF(フロンティア) 2クール
2016年:マクロスΔ(最新作) 2クール


10年単位で離れている。こんだけ時間が置かれるとファンが継続しにくいのは当然といえば当然。
しかも全部2クール以上ですからね。ちょっと勧めにくい。

じゃあ人気無いの? と言われればそんなことはないです。そこについてはまぁ私が実績を語るより、実際に作品を見て実感してもらった方が嬉しいです。

ただ初代はリン・カイフンとかいう邪悪なキャラがいるし、7は序盤で切られそうな気がするし、Fは見ていて辛くなるシーンが多いし、Δは2クール目以降が酷過ぎるのでオススメできない。結局勧めにくいじゃねぇか!

勧めやすいのは、OVA作品である”マクロスプラス”でしょうか。再編され、イカれた出来の新規カットが追加された映画版がオススメです。私が一番好きな作品でもある。お前もYF-19を好きになれ。

歌で銀河を救うという荒唐無稽のような内容ですが、真剣に作られていることが物凄く伝わってくるシリーズです。歌は世界を救うんですよ。

個別に作品の良さを語るのはよしておきます。文量がね。いやー良いんですよマクロス。人類はマクロスを見るべき。

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カワウソ霊夢がやばい

いや、やばい。カワウソ霊夢がやばい。なんだあのキャラ。可愛すぎる。

さてみなさんこんばんわ。生活がマシになってきたかたもちです。最近は東方project最新作・東方鬼形獣ではちゃめちゃに元気が出ています。未だに永夜抄の解禁を進めていないのに新しい原作に手を出すのは悪い気がしないでもないのですが、本当にゲームセンスがなくてクリアが難しいんだからしょうがない。

鬼形獣は推奨画面サイズで起動するとデカすぎて目が追い付かない自機たちが動物霊に取り憑かれるという面白い特徴があります。動物霊の影響で自機たちの性格が変わるというめちゃくちゃ面白い作品。
オオワシ霊では尊大で神子みたいな偉そうな感じ、カワウソ霊では弱気で優しい感じ、オオカミ霊では粗暴で好戦的な感じになります。
自機が霊夢・魔理沙・妖夢なので9つの組み合わせがあるわけですね。

この中でもカワウソ霊夢はやばい。本当にやばいこれはやばい。
確かにカワウソ霊夢は動物霊効果で弱気で他人に優しい感じにはなっています。でも霊夢の根底にある”めんどくさがり”と”妖怪への容赦なさ”、”自分の興味ないことへの無関心さ”などはそのまま。つまるところ根本は何も変わっていない。

何がやばいってカワウソと霊夢が色々ベストマッチしてるんですよ。
「めんどくさいから戦いたくない」+「弱気だから及び腰」→めっちゃ戦いたくない
「無関心」+「物腰穏やかで言葉が綺麗」→めっちゃ距離感ある慇懃無礼ウーマン
「妖怪に容赦ない」+「弱気だから自信ない」→妖怪を倒すことにだけはめっちゃ自信満々

いや本当に面白い。「はぁ地獄行きたくないなぁ……仕事だからやんないといけないんだけどさぁ……」と弱気全開なクセにいざ妖怪と出会うと「いや妖怪に負ける気はしないけど」「ごめんなさい、ここ通るだけなので貴方には興味ないです」と急に冷たいこと言い出す。
霊夢に優しさとか気の弱さ足しても結局霊夢のまんまじゃねぇか!!
はーーーーーーー最高かよ。

中身は完全に霊夢(というか霊夢さが悪化している感じすらある)というのに外面だけ良いのが本当にツボに刺さってしまった。
言ってることはいつもの「邪魔だから通してよ」と同じなのにと文面だけ綺麗なのが本当にやばい。かわいい。

極めつけの「わーい、ありがとう!」
お前お前お前お前急に可愛い語彙を使うんじゃないよオタク殺しにきてるのか???? 神主さんは霊夢のセリフによくオタクを殺す爆弾を仕込んできますが今回もまぁやってくれたなぁという感じ。
まぁ自分に都合いい奴には甘いのもいつもの霊夢ですけど、こうも素直なセリフ出すとは。

ドヤ顔立ち絵が可愛いのも大いに影響がある。イラスト外注か???

いややばい。カワウソ霊夢はやばい。お燐ちゃんは登場できなそうだけど鬼形獣は十分にやばい作品だった。

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顔が良い女だから一生誰かを勘違いさせる口が欲しい

17日(金)は24時まで働いていたのでブログが書けず、働いた反動で18日(土)は24時まで遊んできました。つまり19日(日)なりたての今ブログを書いています。
更新日から二日後に書くとか義務感ゼロでゆるゆるなブログ運営だなぁ、と感じさせられる。

今日はさして書くことがないので書いてなかった作品のあとがき作ります。

さて、「顔が良い女だから一生誰かを勘違いさせる口が欲しい」は私の紙芝居作品となります。顔が良い女シリーズ第二弾ですね。
私の動画の中では現在一番再生数が多い作品だったりします。

顔が良い女シリーズは動画講座の実践編、他人に「こうすれば動画制作良い感じになるよ」と勧める感じで作っています。なのでアクションMMDの制作中とは念頭に置いていることが全然違くて、”楽をすること”と”再生数を伸ばすこと”を重視しています。

「楽に再生数稼げる方法を提示する → 自分もやってみるかと動画作る人が増える → MMD界隈盛り上がる → 私の作品も見に来る人が増える → 意見コメントがもらえる」という願望のもと作られています。
実際に楽して再生数10000行ったので、いいサンプルが出来たなぁと結構満足しています。ニコニコには毎月500作品ほど東方MMDが投稿されてますが、10000いけばその中の再生数トップ20~30には入ります。

まぁ実際二つのことを意識してどういうことをしたかと言えば、まずサムネとタイトルのインパクトを強くすること。



可愛さの塊のサムネ。HAtoonとschwarz霊夢のパワーを爆発させています。
まぁサムネ一本釣りというやつです。タイトルに”顔が良い女”と入れることでより「顔面良し子ちゃんがこの動画に出る」というイメージを強固に。人類は顔面良し子ちゃんが大好きなのでこうすると寄ってきます。

あとは中身はチョーテキトーです。前作の方はまぁまぁ頭使って動画作ってましたが、今作はプロットの中身がスカスカだったりします。なにせ二日しかかかってない。計4時間ほどで出来ている。
「霊夢のモデルがアプデされた」ということを強調し、オチに「魔理沙もアプデされてめちゃくちゃ変わった」ということを持ってくるだけは考えていましたがあとはノリで書いた。

あと考えていたとすれば、キャラを一貫させることくらいですね。霊夢はとにかく上品なクズに、魔理沙はまぁ真面目でまともな感性している人間に、とだけは意識していた。
人間はゲスな話が好きですが、イライラするのは嫌いなんですよ。というわけでクズ発想を霊夢にさんざん喋らせていますが、「直接的に人を罵倒しない」「分からんでもない=共感はできる理屈を言わせる」といった感じで上品さはある程度保っています。

・サムネ・タイトルで釣る
・ゲスい話にする
・イライラさせない上品さを保つ
これを守ればまぁ楽に再生数伸ばせるよ、という話です。

あとは東方要素をパラつかせるとすごく面白い気がしますね。個人的に東方要素ある東方MMDには好感度が持てます。東方要素のない東方MMDってなんだよ、と言いたいが実際にあるんだからしょうがない。
まぁ面白ければ東方要素あろうとなかろうと受け入れられるんですけどね。

そういう感じで作られた作品です。目論見が上手くいったという点ですごく気に入っています。

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The Grimoire of Usami

今日は例大祭でしたが私は遠征が来月に二度あるので行けませんでした。Nibiさんと群青アンブレラさんのCD欲しかったし、なんかラウさんもCD参加してるとか言っててブチブチにキレてました。
そのストレスを打ち消すべく今日はMMDやキングダムハーツ2FMをやったり、グリウサを読んでいたりしました。

さて、グリウサです。The Grimoire of Usami。
このタイトルは過去に発売された弾幕紹介本「The Grimoire of Marisa」を彷彿とさせますが、グリウサでも同様に弾幕紹介を基盤とした作品となっています。
今回の記事はそんなグリウサを読んで私が色々思いついたことをズラズラ書いていきます。

グリウサの内容に触れる前に超大事な前説を!!!!
外来韋編2019springでの神主さんへのインタビュー!!

外来韋編、みなさん買っていますか? 神主さんへのインタビューや各キャラのクロスレビューはよく話題になりますね。
私個人としてはライターの塩田信之さんの書くコラム「幻想のもと」が一番の楽しみだったりします。東方の元ネタを掘り下げ、東方作品での設定のキーワードの出自、神主さんの発想の元などをダイレクトに教えてくれちゃうというめちゃくちゃに面白い記事です。
ズラズラと歴史を書くだけではなく、しっかり東方に関わる部分をピックアップしているのがめちゃくちゃ分かりやすい!!

さてそんな外来韋編の2019spring!
巻頭大特集はずばり、東方スペルカードFAQ。神主さんが東方スペルカードに関してアレコレ話すインタビュー記事です。
グリウサではキャラたちが見た弾幕の紹介になるのですが、こちらはかなりメタ的な視点で見た内容になっていてなかなか面白い。ゲームの主役となる弾幕にキャラクター性を持たせよう、と名前をつけたのがスペルカードの由来。どうやって弾幕という攻撃に面白さを出すかという神主さんの努力が垣間見えます。

このインタビューのラストにて、神主さんは「これからは斬新さより東方らしさを目指すかも」という旨を話しています。
神主さんは原作のおまけやらインタビューを見る限り、(失礼な言い方ですが)ゲーム懐古厨です。
映像技術が上がっていく中でゲーム性と演出がゲームの中で離れ始めた時流を嫌い、古き時代の遊びと演出が同時に立っているゲームを愛しています。
そういう意識からゲームと演出がちゃんと組み合わさりつつ新しい、いわゆる「21世紀の20世紀延長型STG」というゲームを神主さんは作ってきました。それが東方というジャンルで受け入れられ始め、演出乖離の時流の中で今しっかりと確立しているわけです。
そんな中で神主さんが開拓より継続をやりたがるのは自然な流れかもしれません。


さて、このインタビュー。思うにグリウサの前振りです。
そうじゃなかったとしても、このインタビューで神主さんが語った弾幕のキャラ性や東方らしさというのが色濃く出ています。

グリウサはただの弾幕紹介だけでは終わらない!!
東方世界に飲み込まれるロールプレイング型弾幕レビュー!

みなさんゲームブックって読んだことありますか。読み手が選択をしながら物語が進むという、さながらロールプレイングゲームのような本です。読んでいるうちに自分がどんどん作品の世界に入っていく感覚が凄く面白い。
グリウサは読んでいてそれに近い感覚がありました。

さて、グリモワールウサミはいきなり漫画のページから始まります。
董子との会話の中で霊夢は弾幕花火大会というものを思いつきます。立案者となった霊夢、魔理沙、董子に加えて早苗、咲夜、妖夢といういわゆる自機組が審査員となり、弾幕花火の良し悪しを評価するという一風変わった花火大会が開催されるというのが内容。
漫画ページが終わると各キャラの弾幕のスクリーンショット、使用者のコメント、花火に対する審査員たちのコメントと点数が乗るページが続いていきます。クロスレビューの好評ぶりに応えるあたり、買い手に優しくなったなぁなんて思う。

さきほどゲームブックに近い、と書きましたがグリウサにおいては選択肢というものはありません。けれどロールプレイングにおいてプレイヤーを世界へ引きずり込む強大な武器が隠されています。
それは余白と材料。読み手側に「こうなっている」という説明を与えつつもしっかりと描き切らないという古き良きRPGの世界です。

例えば成美ちゃんの業火救済のぺージ。画面下から弾が出てくるというめちゃくちゃやり辛い弾幕ですが、成美のコメントでは「観客席から湧いてくる花火!」とあります。
画面の下から弾が出る弾幕=観客席から湧く花火。つまり弾幕のスクリーンショットにおける画面下というのが観客席側であるということがここで判明するわけです。
審査員たちのコメントでは「観客が危ない!」だの「会場がパニックになった」だの書かれ、ここで読み手には「画面下=観客席側」「火っぽい弾=本当に火のモノもある」というルールが印象付けされるわけです。
しかし字として書いているだけで、観客席から火が立ち昇る絵なんてものはありませんし実際に私たちがその様子を見る手段はありません。つまり想像で補うしかないわけです。

これが不思議なモノで、想像させるということは実際にモノを見せるよりも読み手を物語へ引きずり込むパワーがあります。
古いRPGをやっているとき、戦いの情景を思い浮かべたりしませんでしたか? もしくはキャラの性格勝手に考えてこういうこと話してそうとか想像したり。あの感覚です。
でも何もないところから想像していたわけでもないでしょう。キャラのステータスや見た目、豪華とは言えない演出、ちょっとしたセリフなど想像の材料をちょいちょいと与えられるからこそ想像は捗るもの。
グリウサでは弾幕花火を”実際に”見ているキャラたちの反応、それらから分かるルールが想像の材料となり花火大会を楽しむキャラや幻想郷の風景を思い浮かべられるという出来になっているのです。

水に関する弾幕では「びっちょびちょになる」や「実は防火措置である」といったフレーズが出たり、生き物が関わるような弾幕だと「気持ち悪い」や「グロい」など生々しさに引く様子が出てきたりと、弾幕を見ている人たちの感想が生き生きしているのも相まってどんどん東方世界へ飲み込まれます。

これも20世紀型の演出の一種ですよね。神主さんこういうの本当に好きなんだろうなぁ。
ちゃんと新しいモノが入っていて、21世紀の20世紀型ゲームブックになっているのが東方らしいというか。

解釈の一致多数!キャラクターたちの個性爆発コメント!

弾幕花火それぞれに書かれるコメントは神主さんが書いているだけあり、キャラの個性をしっかりと踏まえられたセリフばかりです。
特に審査員たちは点数の付け方やコメントから物凄くキャラ性が伝わります。個人的な印象を一覧にしていきましょう。

-霊夢
実際に”見た感覚や弾幕全体の完成度を重視している様子。弾幕の美学が根幹にあるようで、ぱっと見が派手でかつバランスが良いモノに高評価をしている。美学に反しているものには割と容赦ない批判をしてくる。お金と食べ物に釣られるあたり非常に霊夢。
-魔理沙
全体を見る霊夢が「しょぼい」など言っているときに、技術とか発想を切り出して評価してたりする。結果がダメでも出来たところを評価してくれるやさしさの塊。一部分の技術を見るのはよく弾幕の真似をする勉強家だからこその視点かも。場を繋ぐために花火を出したり、安全を考慮して懐中電灯使ったり、やさしさに満ち溢れている。
-董子
色数や弾で出来た模様などの要素が多いものを評価している。弾幕の雰囲気や派手さが好きらしい。ぱっと見の印象重視で、純粋に見慣れない弾幕を楽しみながら審査してそう。中二病らしく”そういう”モノにも反応している。
-早苗
弾幕を出しているキャラの動作への言及を多くしている。他の審査員とは違い、弾幕と弾幕を張っているキャラを両方よく見ている? 妙に面白いツッコミを多くしているあたり、見たものからの感受性に富むのかも。影響されやすいのってそういうことかと納得。
-咲夜
誰よりも観客への安全性を評価している。花火の評価をしろ。咲夜個人としてはスリリングな速い弾幕が好きなようで、ゆったりとした弾幕は物足りないといった評価をしている。それでも高得点を出しているのは速い弾幕<安全性考慮した弾幕。もてなしの気持ちで溢れているというか、なんというか。
-妖夢
完全に見たまんまの所感が評価基準。自分の好みだったり、感覚で評価している。審査かどうかなかなか怪しい言動多々。聖の魔法銀河系を「めっちゃ簡単そうじゃない?(笑)」って言っているあたり、本当に見た目の感覚で生きている子なのだと思う。

私は読んでいて解釈の一致を起こしまくってました。
審査の仕方が実に自機たちらしい基準で、妖夢除く各々がちゃんと考えて審査している雰囲気が伝わってきました。神主さん大変だったんでしょうねこれ……。

弾幕を打つ側のコメントもどうしてその弾幕を花火として使ったのか伝わってきて、面白いものでした。特に神子……。心綺楼から尊大さがとどまることを知らないですね。
今までセリフがなかったキャラが喋っているのはなかなか衝撃ですね。静葉は初にして唯一のセリフがそれでいいのか。

幻想郷はファニーウォーでできている!!
スペルカードの神髄とは

グリウサにはバカでかい驚き要素が一つ仕組まれていました。それはまぁ言わずもがな、ですので言わないでおきます。こういうことは黙っておいた方が風情があるので。

さて、その驚き要素で投げかけられたのはスペルカードの神髄。スペルカードの美しさは何に起因するのかということ。
本来スペルカードは戦いの中で使うものです。その中でだからこそ輝く、というのが投げかけ。戦いの中で美しく攻撃するのが風情があるのであって、花火などは侮辱である。そういうことでしょう。
実際プレイ動画で弾幕を眺めるより、必死に避けているときの方が弾幕の印象は強く残ります。

ただスペルカード戦というのは、はっきり言ってしまえばファニーウォーです。
弾幕は当たれば痛いし下手すると死ぬと過去に神主さんが発言していますが、見た目にこだわっている時点で弾幕というものに殺意が込められているなんてことはあり得ないのです。弾幕アマノジャクの反則スペル、紺珠伝の純狐などといった反例が出たおかげでその点はむしろ強調されてきたでしょう。
なのでスペルで戦っているといっても、それはどこまで行っても”体裁上”戦っているだけであって殺意なんてものはあり得ないのです。

でも、だからといってそれをあっけらかんと言うキャラは誰もいません。誰もが戦っているフリを装い続けます。
それは上記のように、戦いの中で美しく攻撃するのが楽しいからなのでしょう。楽しむために演じ、ルールに則って戦い、買った負けたといっても誰も死なない。それがスペルカード。
ようは緊張感を演じているに過ぎないのです。

これは妖怪と人間の関係にも通ずるところがあります。
妖怪は存在のために人間を脅かすフリをして、脅かす相手を生かすために人里を守っている。人たちもそれを理解して、妖怪に怯えるフリをしながら生きている。
ファニーウォーがここでも起きています。幻想郷はファニーウォーで出来ているのです。

楽しむためだったり生きるためだったり、色んな得のために妖怪たちは役を演じて生きているのです。それが幻想郷の成り立ちであって、スペルカードにもそれが強く出ている。
スペルカードはそういう回りくどい妖怪たちの遊びの象徴と言えるかもしれませんね。


長々と書いた。
グリウサの個人的な一番の驚きポイントは早苗が妖夢を「妖夢さん」と呼んだことですね。霊夢以外の自機との絡みが全然ないので。まぁ会話ではないし絡みかっていうと微妙なところですけど、名前を呼んだのがなんとなく衝撃でした。
あとは雛……唯一の解釈違いでしたあれは。いやでもちゃんと考えれば変でもないのかアレは。

非常に楽しい本でした。つらくなったら東方好きなグリウサを読めばどうにかなる気がします。


今日の心の状態:上向き。散々遊んで余裕ができてきた。

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茨歌仙について語る。

茨歌仙最新話を読んで心が爆発しているのでアウトプットしました。
単行本派に配慮して内容に触れるのは9巻にある内容まで。


異端キャラな華扇
茨歌仙の記念すべき第1話にて、霊夢はマジックハンドをご神体に仕立て上げようとし、魔理沙は寿命を延ばすことに興味津々な様子を見せます。そんな二人に対して華扇の行動は『鳥から噂を聞いた』だの『過去に行ったことを全て思い出す』だの妙に神秘的です。まぁ例の顔はそんな雰囲気をぶち壊しにしていますし、のちにガンガン壊していくわけですが。
東方キャラは往々にして俗っぽく、欲に正直でふてぶてしいところがあるように感じます。私はいつも『少女っぽい』と形容していますが、華扇はこの少女っぽさから外れたキャラな気がします。

-見え隠れする後ろめたさ
まず華扇はよく隠蔽や暗躍を行います。ちょっとした問題を解決しても黙っていたりすることが多いですね。暗躍は紫や文などもやっていますね。ただ二人は好んでやっている節が見受けられます。だっていつも笑ってますしね。紫に関しては天則のチルノの勝ちセリフなんかが印象的です。
ただ華扇はどうも後ろめたさというのが出ています。1巻における「人間と旧地獄の繋がりを封じたいだけ」という独白や2・7巻における逃亡などなど。2巻では記憶消去までやっていますからね、本当に裏活動はバレたくないんでしょう。
あとは腕について聞かれたときの反応なんか、東方ではあまり見ない塩らしい反応をしますね。3・4巻で見られるのでぜひ確認してみてください。

-仙人なのに下降志向
仙人という肩書きこそ持っていますが、同じ仙人である神子ともまた違っています。
3巻にて神子は人間を超えたかったから仙人になったと発言。尸解仙の人体実験をするわ、マント羽織って高笑いするわで極めて上昇志向の高いキャラですからね。説得力があります。黄昏作品では賢いところを幾度か見せていますし弟子もたくさんいる辺り、目的を達成するために相当に修行したのでしょう。
人間から人外を目指すのに一番まっとうな選択肢が仙人になることだと考えれば、仙人というのは大体神子のように才があって上を目指したがる人が多いのでしょう(彼女は欲が過ぎる気もしますが)。

一方華扇はどうでしょう。茨歌仙ではモグモグとモノを食べているイメージがありますよね。仙人は「霞を食う」などと言われる通り食事は必要ないはず。それにああいった姿って庶民さの極致じゃないですか。仙人という肩書やたまに見せるシリアスさの割りに『華扇ちゃん』とちゃん付けで呼ばれがちな理由はこれが大きな理由でしょう。神子との対話でも「人に近づきたいから仙人になった」など言っていて、紫に対してはあなたとは違うとの発言をしています。人外であることを拒んでいるようです。
小町の言うように(5巻)所詮は仙人の真似事っていうことでしょうか。記憶の消去は仙術のようですし(7巻の神子より)、憑依華の神子スレイブ時の勝ちセリフからも仙術を使っていることは確からしいんですけどね。

ちなみに食事ですが、東方恒例の飲み会を除けばめちゃくちゃ多く描写があるわけではないです。2巻の団子屋、3巻での団子と芋の食い歩き、4巻で酉の市のおでん串、飛んで8巻の境内の屋台の焼き鳥と持ち寄りのタケノコ、9巻で命蓮寺屋台の団子といった具合。表紙でモグモグしているときもあったりしますし、いつだかの購入特典や黄昏作品ドットでもモグモグしてます。少なくはない。

-アレなのにトゲが少なめ
また華扇はどう見てもアレですが、そういう面ではどうか。
東方のキャラは基本的に種族に誇りを持っています。月の兎は地上を馬鹿にするし、天狗は別の種族を貶す記事書くし、吸血鬼は地上で最強などと自負していたりします。茨歌仙内でも6巻でマミゾウが「妖怪は自分を人間より上だと思っている」との発言をしていますね。

で、華扇ちゃん。2巻では人間の知識を実践したうえで褒めたたえ、ちょくちょく本を見て勉強している様子もあります。4巻では明確に酉の市=人の文化について本から学んできたようです。
これはアレとしては異端も異端ですよね。人に近づきたい、っていう時点でもそうなのですが本当に人への抵抗がない。自ら進んで人の知識を学び、褒めるなんていうのは屈辱といってもいいはずなのですが。ここらへんは『仙人は人の味方!』を実践してみせているという見方もできますね。

あ、ちなみにこの平等さは人間にしか適用されないので「化け狸風情が」なんて発言しますし地底に関しては「棲んでるやつらは正気の沙汰じゃない」などと評し、深秘録の勝ちセリフでは布都へ「そんな低レベルの仙人と一緒にされたくない」とおっしゃいます。董子へ「妖怪を恐れないなんて愚か」と言っている辺りからもプライドが無いわけではないと分かります。素が出てるよ華扇ちゃん。
あと勉強についても神仏には弱かったりします(3巻)。まぁ詳細を知らないだけで神性については理解している様子ですが(9巻)。この9巻の話は前振りっぽいので要チェックです。

また華扇は嘘こそ吐きませんが、人を騙しはします。上記の隠蔽もそうですけど、そもそも仙人っていうこと自体正しいのかギリギリです。アレからすれば嘘は一番やっちゃいけないことのはず。個人的にここは『本当のこと言ってないだけだからセーフ』理論を通しているのだと思います。華扇と言えばギリギリ矛盾してないダブスタっていうのが私のイメージだったりします。
いやホント。自分ではドヤ顔しまくるくせに、他人がドヤ顔すると明らかに嫌そうな顔するところとか本当に好きです。


華扇の関心
こんな風に神秘的で庶民的、アレなくせに仙人な華扇ですが矛盾はここに収まらず。彼女は仙人のくせにアウトローです。5巻ではトカゲに龍にする試験の一環で人の家燃やすよう促してますからね。取り壊しの予定の家だったし、人も避難させたとはいえ少し荒っぽい。被害が出ないからセーフという理論も華扇らしいなぁと思うのですが。
そんなことしてまで何がしたいのか。関連しそうなアウトローポイントと一緒に華扇と関係がありそうなモノを書いていきます。

-華扇と結界 -アウトローポイント1 結界破り-
博麗神社は結界の堺目になっているという話は茨歌仙以前から分かっているし、作品内でも後にも触れられることです。そんな神社に近づいた華扇へ4巻では萃香が「外に腕を探しに行くのだろう(意訳)」とアタリをつけ(華扇は内心否定している)、7巻ではマミゾウが「神社を乗っ取って悪だくみしているのは一目瞭然」とイビり出します。実際5巻では華扇が霊夢たちに結界について質問し、解説を享受しつつ意味深な表情を見せています。
大立ち回りを見せた深秘録では華扇は異変解決のためとはいえ結界をぶち破るという反則行為をしています。しかも複数回。これは重大違反。しかもその上で茨歌仙内でも董子を使って外のモノを持ってこさせたりしています。華扇と結界というのはやたら関わりがあります。

第1話にて「俗界に興味が湧いてきた」とのことで華扇は神社に通うことになりました。実際読むと分かるのですが、ここの流れはやや不自然なんですよね。初めて読んだときは神主さんとは言えども漫画まで万能とはいかないのかなぁと思っていましたが、今にして思えば『華扇は結界にえらく関心がある』と仮定すれば強引に近づこうとしたのも納得、っていうのはこじつけですかね?
知っての通り第1話にて博麗神社に河童の腕(って書かれた箱に入ったマジックハンド)が奉納されるところから茨歌仙は話が始まります。酒なんかも勝手に奉納されることがあると霊夢が言っていましたが、それらって外から流れてきたものなんでしょうかね。主役たる華扇と結界っていうのは最初から関連付けされたものなのかも。

結界の飛び越えについては7巻で紫が華扇をイビっています。7巻はイビり巻ですね。
まぁとにかく、近づけば目を付けられるっていうのに華扇は結界の近くに居続けます。どうして? そもそも結界を破れるのはなぜ? 華扇と結界の関係は怪しい匂いがプンプンします。
どういう目的で結界に近づいているんだ華扇。

-華扇と地底 -アウトローポイント2 怨霊潰し-
初期から定期的に登場する組み合わせ。黄昏作品でのこいしへの勝ちセリフからはお姉ちゃんと関わりがあることが分かります。まぁアレだから関わりがあるんでしょう。
まず全体的に華扇は地底が嫌いのようです。上記のようにボッコボコに言っています。あと地底からあふれ出る怨霊は容赦なく潰します。1巻で潰して6巻でまた潰してますからね。「人間と旧地獄の繋がりを封じたい」との発言は伊達ではない。

この怨霊を潰す行為、本当にやっちゃいけないことです。罪人の魂=怨霊は地獄で罰を受けて反省をし、そこから消滅という流れが地獄におけるルールです。華扇ちゃんそれ無視してますからね。1度目は「元々地上にいちゃいけないものだからセーフ」という理論を言っていましたが、「良いことしてるように見えるはずなんだけどなぁ」という発言から見るに詭弁のようです。それに2度目は地底でやってますからね。言い逃れは不可能。
「そもそもなんで出来るの?」っていうことからして疑問なわけですが、まぁここには腕が関わってくるんでしょうね。華扇は本当に話がうまく絡み合っているキャラです。

2回目の怨霊潰しと同じく6巻にて華扇が地底をボコボコに言っているセリフの中には「鬼じゃなきゃ正気を保てまい」というものがあります。地底はロクなところじゃありませんが、鬼ならば大丈夫ということなんでしょうか? この後、華扇は好奇心で地底に降りてきた魔理沙を連れてさっさと帰ります。「旧地獄の空気は間欠泉センターよりも有毒」とのこと。少しこじつけ気味ですが1巻にて華扇は間欠泉については「硫黄ガスが充満して人間には有毒」と言っています。人間には、です。
たくさん貶しているのは人間視点の話であって、鬼には関係ないのかも。自分で来ておいて魔理沙を見つけて早々に帰ったのは、人間である彼女の体を気遣ってなのでは。
つまるところ人に近づきたい華扇にとっては地底は悪しきもの。そうではない華扇にとっては好きでも嫌いでもない場所、ということなのではないでしょうか。

-華扇と腕 -アウトローポイント3 隠蔽-
ずーっとずーっと言われていること。華扇の右腕はつかむと妙な感触がするし、巨大化だの腕だけワープだの色々できるし、深秘録では本体の攻撃がすべて腕を使っているうえに都市伝説は「猿の手」。怨霊潰しもすべて右腕によって行われています。かなり特徴的なパーツと言えるでしょう。
「片腕有角の仙人」とあるように包帯の中身は空っぽのようなのですが、華扇は1・3・4巻にて腕と聞けば飛びつくほど執着している様子。茨歌仙はそもそも華扇が腕を見に来たところから始まりますからね。

腕とあらばご神体には安易に触れるし不法侵入もする。華扇ちゃんの目的はなにか、と言われればこれが大本命でしょうね。まぁかなり腕とフィーチャーされる華扇なんですが、実際のところ腕について分かっていることはほぼありません。何か謎があって、華扇の現在の右腕には凄いパワーがあるというくらいしか分からない。
そういうわけで書けることというのはあんまりないのですが、腕が関わることにはなりふり構わないあたり、華扇の隠蔽行動も全部これに起因しそう。

アウトローポイントだけで言えば色々ありますよ。一覧をどうぞ。
1巻:2話にて怨霊潰しを秘匿。
2巻:6・10話で事実の秘匿。9話で逃走。
3巻:11話の不法侵入を秘匿。13話にて事実の秘匿(河童にとばっちりが飛ぶ)。
4巻:16話にて勇儀との関わりを秘匿。17話にて詐欺(あとでバラす)。20話にて問題解決を秘匿。
5巻:24話にてなんかもう色々秘匿(ちなみにこの回の線の太いタッチは必見)。
6巻:地底との関係を秘匿(関係があるのは確定ではないけど)
7巻:33話・34話にて董子との密会。35話で逃走。
8巻:無し(快挙)。40話の忠告がどうにも遠回しなのは気になる。
9巻:無し(凄いぞ華扇)。42話で宴会に来ないというのは逃走に入るか。

ちなみに霊夢は宴会を開いてまで自分のやったことを広く知らせますし、東方キャラは往々にして存在アピールが好きです。そもそもスペルカード戦がそういうものだし、異変もそうするとファニーウォーみたいなところありますからね。派手なお遊びが好きな連中です。
そんな中で隠蔽に励む華扇はやはり異端ですね。


茨華仙の進む道
7巻収録35話「茨華仙の進む道」は私にとっては大変な回です。初めて読んだときは「は?」って思いましたし、今でもそう思っている節があります。
「私の理念は天道とともにある!」
妖怪のため幻想郷のためと働く紫に対し、華扇はこう言い放ちました。この回では少しばかり「人間のために」という言葉が強調されています。この宣言をした背景に映っているのは人間ばかりということも考えるに、天道とは仙人らしく人の味方をすることでしょうか。しかし華扇が天道というほどにふさわしく晴れ晴れとした道を進んできたかというと、まったく違うでしょう。

何度も言いますが、怨霊潰しは地獄のルールに反します。また結界破りは幻想郷=妖怪のための場所のルールに反します。とはいえ華扇は地獄をぶっ壊そうとしているわけでもないし、幻想郷を壊そうとしているわけでもないです。
深秘録では(第一目的は別にあったとはいえ)頑張って幻想郷を守ろうとしていたわけですしね。霊夢にも人のために働くよう促しています。大量の隠蔽をしながらもまぁ良い行動はしているのです。でもそれって『天道を進む』とは言えるのか。
そういうわけで個人的にこの発言にはかなりの違和感があります。華扇=ダブスタはここからもできているイメージです。まぁ単に『人のために働く』っていうだけの意味合いならダブスタはないのですが。
またこの場合であっても『人のために働く』っていうのは仙人の要素であるため、仙人のフリをしていたいから紫と一緒にしないで欲しいという意味にも考えられるかも。これはこじつけかな。

まぁとにかく、いまだに目的がハッキリしない華扇。輪廻に反すると分かっていながら(3巻)寿命を延ばすために仙人をしている(4巻)ということから長生きはしたい様子。天道とともにあるという理念とはなんでしょうか。長く生きないとできないことなのか、それとも天道というのは仙人を隠れ蓑にしているうえでの建前? 何が華扇の正義なのか。
うーん良く練られつつ、謎があるキャラクターですね。華扇の言う天道の行く末はいかに。


さて色々書いた。茨歌仙はこんな風に色々なことがふんわり書かれている作品です。単純に絵も可愛らしく、それだけでも楽しめるほどですよ。作画について語るのはまぁまた今度で。なにせこの記事だけでも書くのにめちゃくちゃ時間がかかっている。まさか二日またぐとは。
華扇はこういうキャラであろうという、ハッキリとはしないけど根本的な部分っていうのが分かるっていう素敵な作品です。ダブスタもなんとなくこういう理屈だろうっていうのが分かりますしね。


=おまけ=
いやぁ最新話ですよ最新話。内容には触れませんがね。色々びっくり。「あぁ多分これはこうだろう」と予想がつく部分もあるあたり、茨歌仙という作品は謎を散りばめつつもやるべきことをやった筋道が通った作品なんだろうとつくづく感じさせられます。

ここまで読んでくれた方はよほど熱心ですね。ぜひとも茨歌仙に触れて楽しんでみてくださいな。お疲れさまでしたー。

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