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思いついたことを書き起こして考えを整理させてます。

ゾンビランドサガ

この間視聴を完了したので忘れないうちに色々書いていきます。感性が昭和なので推しキャラはサキちゃんと純子ちゃんでした。

-目を引くイカレ具合
ゾンビランドサガは「ゾンビ+アイドル+佐賀」という訳の分からないコンセプトが合体していることから察することができるようにイカレたアニメです。
第一話では主人公のさくら以外のメンバーが正気を失ったゾンビ状態であり、奇行としか言えないライブパフォーマンスを披露し、さくらもヤケになったように頭がイカレた行動をしだすというとんでもないライブシーンをいきなり見せてくれました。
その後もぶっとんだゾンビギャグやシュールな光景を散々見せてくれるイカレたアニメです。

こういうのってとても勢いがあって目を引くんですよね。
インパクトがあるし、退屈しない。だからより深く視聴する。深く視聴すると愛着が湧く。ネジが飛んだ作品というのはこういう部分が強いんですよ。
なにより今はSNSの時代なので話題性が大事です。イカレているものは話題になります。同世代のアニメならSSSS.GRIDMANの立花のふとももがツイッターで話題になりましたが、アレと一緒です。同じくイカレ具合が話題になった例で言えばエグゼイドの壇黎斗でしょうか。

しかしまぁこのアニメの本題はイカレた部分だけではなく、真面目な話も大いにします。イカレ具合はそういったシリアス部分を見てもらいやすくするための工夫とも捉えられますね。
まずキャッチーにする。これは見習いたいです。

-丁寧なキャラ描写
さてイカレたアニメであるゾンビランドサガですが、作った人はドがつくほどの真面目だと思います。キャラの描写がとてもしっかりしているんですよね。
全員本当に特徴が分かりやすく、それが貫かれているんです。

顕著だったのか伝説の昭和アイドルである純子ちゃん。
”破廉恥”や”お茶の間”といった少々古臭い言葉をよく口にし、喋り方から彼女が生きていた時代を感じさせてくれます。”ライブ”ではなく”コンサート”と言わせるだけで昭和を表現するのはそれだけで感動させられました。

こうも一貫させるとなると作り手が設定をしっかり読み込むのはもちろん、キャラ毎に使う単語もしっかり決めて、こういう描写はこのキャラにさせてとしっかり決めていたんでしょうね。

何かにビビる係は愛ちゃんですし、ひどい目に合う係はさくらで、なんか最後に持っていく時はたえちゃん。小言を言うのは(本性が出るのか)リリィちゃん。
みんなが顔芸する中で純子ちゃんは顔が映らないようになっていましたし、サキちゃんは自分がどうケガしても動じないというゾンビの無敵ぶりを発揮していました。そんな中、常に我が道を行く姐さんと誰よりもうるさい巽。

キャラが一貫していると「生きている」と感じられるし、お話に没入感が出るんですよね。
あと創作オタクとしては、こうして徹底された作品を見ているとそれだけで好感度が上がってしまいます。

また、そんな中だからこそさくらの描写が光る。
「ドンくさそう」などと評されるように失敗も多く、しかして派手なジャンプもするしダンスもカッコよく出来る。ここにはちょっと違和感があったんですよね。
よくもまぁこうも仕掛けてくるなぁと…。

-CGシーン
正直言うと本作のモーションはモーキャプで作られたようなので上手く語れる部分はないのですが、モーキャプの強みである動きのバラバラ感があって良かったです。
ダンスCGはモーションが手打ちだとあまりに動きが精巧だったり全員均一な動きだったりするのですが、モーキャプだとこの不自然さが消えてくれる。

キャラ毎の違いを深く出すゾンビランドサガにおいて、このモーションキャプチャーの強みは一層際立っているように感じましたね。しっかりとその作品に向いている手法を取って制作しているのは素晴らしく尊敬いたします。

しかしこのダンスアクターも凄いですよね。ゆうぎり姐さんとかめっちゃ色っぽかったし…。

あとこういうライブシーン見るたびに思うんですけど、ダンス中の移動モーションって作るのだるそうだなって…。モーキャプだってそんな上手くIK動くわけじゃないでしょうし、やってられない気がします……。


>しーびっとさん
人の偏見って全部そんなもんですよきっと。一人一人に偏見があるので会話では食い違いがないようにしましょうね。

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アイカツオンパレードに対するお気持ち表明

アイカツシリーズの歴代キャラが大集合するというクロスオーバーTVシリーズ”アイカツオンパレード!”の放送が先日発表された。

アイカツシリーズというのは2012年にTV放送されたアニメ番組「アイカツ!」をはじめとしたアニメシリーズのことである。
アイカツとはアイドル活動のこと。アイカツを通して日々挑戦を続ける女の子たちを描くこの作品は”スポ根”などと評されるような異例のアイドルアニメだ。作中のアイドルたちは失敗や困難に出会い、それでもめげずに努力を重ね、辛くともへこたれない。まさにスポ根である、というのがメディアやSNSで見られるアイカツの表現である。
とにかく前向き。それがアイカツなのだ。

ただ、この表現は最も用いられやすいというだけであってアイカツの特徴は他にもある。
例えばアイドルたちのキャラの濃さがそれにあたるだろうし、楽曲のクオリティが高いというのもそうだろう。それに伴うライブ演出も魅力の一つ。数多くの魅力が女児だけの人気に留まらず、大人層のファン(アイカツおじさんなどと呼ばれる)を作ることになったのだろう。
これらがメディアで用いられにくいのは他のアイドルアニメ(特に同じく女児向けである「プリティシリーズ」)と被るところがあるためアイカツ固有の特徴としては弱いからであると予想する。

そんなアイカツシリーズは「アイカツ!」「アイカツスターズ!」「アイカツフレンズ!」と三作続いています。そんな作品のキャラを大集合にするというのだから凄まじい。公式で行われている人気投票”アイドル総選挙”にノミネートされているキャラ数は56名。この人数全てが出るとしたらとんでもない豪華さである。
新楽曲もあるとのこと。超豪華TVシリーズ「アイカツオンパレード」には今後も注目していきたい……。


というのが前振りである。

ハッキリ言うとそもそもオンパレードに期待などしていない。むしろ今回の発表に失望している。食欲が減退する程度にはショックを受けた。

なぜかというと、この過去作品を登場させるという手法がファンサービスなどではなく人気が出ないから過去の遺産に縋っているようにしか見えないからである。
8月現在放送中のフレンズは2年目3クール目半ばを放映している。そしてアイカツオンパレードの放送はいつからかと言うと、なんと10月から。順当に行くならばフレンズ4クール目が放送される時期である。
そりゃあフレンズを打ち切りにして過去作人気にあやかろうとしていると考えるのが自然だろう。

アイカツというのは常に前向きな作品だった。
「今ある思い出だけじゃないよね。思い出は未来の中にもいっぱいある」とかつてスター宮は言った。それがどうですか。今や公式が超後ろ向きで思い出に頼っている。アイカツ!スターズにて歌唱担当をしていた方々をフレンズ前に卒業させておいて、また呼ぶというのはどうなのだ。
未来向きの今はどこにいったんだ。憧れは次の憧れを生むんじゃなかったのか。

公式に裏切られた気分がして、辛いのだ。



以下はなぜ私がアイカツシリーズが好きにならなくなったのかという話である。上述の内容以上にめちゃくちゃアンチ意見を書く。
完全に自分で見返す用なので不快になるようなら読まないで欲しい。所詮対象年齢が違うモノを勝手に見て勝手にショックを受けている人間の言葉である。














現在のアイカツシリーズへの私のイメージは”スポ根”などではなく”凋落”だ。
私の中ではアイカツシリーズからはスポ根という要素は消えていて、今あるのはスポ根であるという幻影、もしくは薄っぺらい皮のイメージだけだ。

そう、今のアイカツは薄っぺらいのである。上に挙げた数々の要素は中身の伴わないものになった。

スポ根要素について話をする。
アイカツ!一年目の当初ではどこか古臭いBGMの中で目標に向かって妙ちきりんな特訓に励む、何度も困難にぶつかって思い悩んでは努力する、根性が過ぎて突飛な行動に出だすなどの描写は多々あった。

分かりやすいのは第6話「サインに夢中!」などであろう。
アイカツファンからすれば今更語るまでもないし、著作権等を考えてあまり内容を深く書きたくはないためあらすじは省略する。ただこの回は「挑戦し、問題に向かって努力し、そして失敗をし、正しい方向へと立ち直る」というアイカツがスポ根と言われる所以が詰まっている。謎過ぎる特訓も相まって…。

しかしこれがずっと続いたかと言うとそうではないだろう。
いや、実際シリーズ全てにおいてスポ根的なことはやってはいるのだ。なにせ毎日の特訓描写としてランニングや腹筋が描かれるアイドルアニメである。スポーツ特訓みたいなことを何度もする。ただ逆に言えば”しているだけ”である。

上述のサイン回はサインという明確な目標があった。奇抜な特訓でインパクトもあった。そしてその後の失敗とそこからの教えで強く記憶に残った。
しかしただランニングしているところを見せられても、エピソード性に欠けるのだ。そりゃあ毎日体力作りに励んでいるのは凄いと思う。ただそれだけでは地味だし、面白くない。
これでは「努力してますよ」という証明やアピールにしかなっていない気がするのだ。そりゃあ毎回走り込みしていれば努力しているのは誰でも認知するだろう。でも「努力している」以上の情報もない。だからなんだか薄っぺらいように思える。

こういう「これはこう!」とだけ言って、中身はスカスカといった具合の薄っぺらさが後のアイカツシリーズにはたくさんある。
ノルマのように口癖だけ言ってキャラを強調させるし、ライブ演出ではオーラの大きさだけで強さを表現をするし、「こういうことしたよね!」とだけ言って昔努力しましたという描写をすることもある。
薄いのだ。とにかく薄すぎる。

まぁライブでの強さ表現に関してはそれこそアイカツ!一年目も同じく薄かったりする。ただその後のライブCGの進化によって、圧巻の映像を見せて強さを表現するということも増えだした。
それがスターズからCG担当が外注からバンダイ内の製作チームになり、デカいオーラ出たら強いという陳腐な表現方法になったからよりガッカリしたのだ。

こうなるとどうなるかと言えば、単純に見ていてつまらなくなる。ノルマみたいにやることをやって、心に残る言葉もなく、ただ終わりに向かうストーリー。面白いはずがない。
シリーズが進んでいくにつれこの薄っぺらさは広がっていき、アイカツの魅力というのがだんだん折れていかれるように感じられた。そうなろうとも私がアイカツシリーズを見ていたのは時折見せる魅力に惹かれてのことだ。楽曲を筆頭にキャラやサブの単独話、ドレスやCG演出などがそうだ。

だが今や楽曲すらクオリティも下がって数も減り、話も普通につまらない。話が薄くなったことでキャラも薄くなった。フレンズは途中で視聴を辞めたが、今後見直すこともないだろう。そう思っていた中でのこのオンパレード発表である。

予算減少とか子供たちの単純な飽き、少子化などのような制作にはどうしよもない問題が原因だったりするのかもしれない。しかしそれでもやっぱり今のアイカツは面白くないし、かといって過去作をまた出すなんていうのは今までのアイカツ描写の否定のように感じられるのが私の心情だ。
やっぱり好きなものがこんなことになるというのは辛いのだ。

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2019ハルヒオンリー

時間軸バグったタイトル。

のオタクである私は涼宮ハルヒシリーズのシンパです。しかし、ハルヒのイベントというものは体験したことがありませんでした。
これから先、一生参加できる機会はないんだろうなーと思っていたらまぁなんと6/30(日)にオンリーイベやるという一報が。

6/1にマクロスのライブがあることは確定していたので、ハルヒオンリーに参加したらまず間違いなく破産すると分かっていたんですよね。
だから正直諦めた方がいいかなーなんて気持ちはあったんですよね。

まぁ構わず行きましたけど。


今回の第一目標はやはり推しであるナナブルクさんのサークル”どこここ”。行くことができなかった冬コミの既刊とキャンバスアート、そして今回から出る新刊、バッチ、アクキーなどなどを頒布するとのことだったのでこれが最低目標でした。

さてナナさんなのですが、イベントに行くにあたって人はどれくらい来るのかな?という予想を事前に立てておりました。
ハルヒオンリーのサークル数は60で、来場者数は当然まだわかりません。ここに係数2.5~3を当てはめてみると、予想来場者数は90~120人ということになります。なかなかリアルじゃない?

これに、コミケのときの私の成績「9」を掛けると22.5~27。つまり約25部がはける計算になります。
  どこここブログより https://dokococo.hatenablog.com/entry/2019/05/27/092700
係数というのはこちらのブログにて投稿者さんが定義した即売会集客係数です。コミケ、例大祭いといった即売会イベントにどれだけ人が集まりやすいかということを評価した値で、これが大きければ大きいほど人が集まるイベントということになるそうです。一般な即売会では2.5~3、コミケでは15.8だそうです。
式にすると以下の通り。

参加サークル数 × 集客係数 = 参加者数
参加者数 - サークル参加者数 = 一般参加者数

引用文前半で言っているのは「この式の集客係数に2.5~3を当てはめると、来場者数が90~120人になる」ということです。なるほど。確かに小規模オンリーイベントならそれくらいの人に収まりそう。

後半で言っている成績というのは過去に参加したイベントでの同人誌頒布数を集客係数で割って出した暫定的な頒布成績のようです(成績 × 集客係数 = 頒布数)。
この計算から、ナナさんは25部くらいは売れるだろうと予想したわけですね。

ナナさんが今回頒布するものは新刊・既刊・キャンパスアート・アクキー・缶バッチ。
告知によれば新刊は45+8部(45部頼んだはずが、なぜか予備が8部も来たらしい)、既刊は50部、キャンパスアートは6枚という告知。小物類は正確な告知はありませんでしたが、ブログや写真を見る限りアクキーは10個ずつほどで缶バッチはもっと少ない感じでしたね。

ちょっと少なくて買えるかどうか不安な気もしますが、この分ならイベント開始(12:30)の30分前にでも着けば無事に購入できるだろうという予想は立てておりました。
ただ前回の夏コミにて始発で向かったにも関わらず10枚限定の色紙を逃したやらかしの経験を鑑みて、10:30には現地に着くようにしようと考えていました。

前日、買えないことが急に怖くなって9時到着予定に変更しました。


ここから当日の話
   ↓
   ↓
   ↓


さて当日。まぁ眠いこと。マジで楽しみすぎて寝付きが最悪だった。にもかかわらず目覚まし5分前に起きるのだから凄い執念だと我ながら思います。

9:00過ぎ 現地着
現地入りした頃にはまだ数人しか人がおらず、時間も余るというマジで無駄過ぎる早起きをしたなぁとやや後悔いたしました。飯を食べに行く余裕すらあった。ただ入場時間前までの暇つぶしにと『憂鬱』を読んだら一気に気分がぶち上っていたので、結果的に時間があったのは正解だったと思います。

あとスタッフさんが笹の木運んでいる光景がアニメ版『笹の葉ラプソディ』みたいで眼福でした。

11:00(?) 列形成
ちょっとやらかしたのがこのタイミング。
多分現場に来た順番で言ったら4番目くらいだったんですが、並び方を間違えましてその時点でいる人たちの最後尾になってしまいました。20人ほどいて最後尾です。
といってもこの時点ではあまり気にしていなくて「まぁ仕方ないかぁー。しかし年齢層がすごいバラバラだなー」なんてことしか思っていませんでした。中学生くらいの人もいれば50歳ほどであろう人もいてビックリでしたね。

さてちょっとヒヤリとしたのがこの後。
気付いたら入場開始前時点で150人はいたんですよね。サークルが50埋まって追加10入った時も驚きましたけど、こうも人が来るとは。流石に9時到着は無駄でしたが(列形成でミスった時点で無駄になっている)遅かったら終わりだったなぁと。

そしてさらに驚いたのが私より前で並んでる人のケータイ待ち受け、ナナさんの絵だったんですよね。
あまりに見慣れ過ぎていて途中まで「あ~ナナさんの絵を待ち受けにしてんだ、ほーん」くらいにしか思ってませんでしたが、よくよく考えたら「ん? ナナさんの絵待ち受けにしてんの?」と事の重大さに気付く。
自分の手前に一人、ナナさんの絵を待ち受けにするほどのガチ勢がいる。

あれ? そういえばナナさん神絵師では?
真っ先にナナさんのスペースに行く人が確実に一人いるということを知ってしまい大いに焦る。前に20人いるがナナさんのところに行くのは何人だ…?と不安になり始めてももう遅い。注意事項の確認と入場時に買うカタログ代の準備をしておいてとの呼びかけがあり、いよいよその時が。

12:30 ハルヒオンリー開幕
カタログを買っていざ入場。真っ先にナナさんのスペースへ向かいましたが既に2人並んでおりました。しかし私含めて3人です。キャンバスアートが無事であると確定してホッとしておりました。
それとナナさんと売り子の柚子湯さんが数学に弱いというアクシデントが発生し、会計が滞っているのがなかなか面白かったです。私の番ではみくるちゃんの缶バッチの在庫が切れるという悲しいこともありましたが、他のモノは手に入れることができました。
絶対に言っておきたかった「夏コミを最後にするって言いましたよね?!??」が言えて満足。柚子湯さんが「詐欺詐欺!」って言ってくれたのもうれしかったですね。実際詐欺。



ちなみに私の会計時にはすでにこんな状況になっていて会計を焦りました。列が後ろじゃなくて前にできているという珍妙な光景でしたね。いっつも過疎なブログしか見てないから忘れてたけどそういえばナナさん神絵師だった……。
当然のごとく完売してましたよね。事前の計算はなんだったのか。

こんな状態だったのでチョロっとブログについて言及だけして退散いたしました。拍手で言ったことをもう一度言うことで存在をアピールする姑息な手段。

新刊では私の大好物なナナさんのラフ絵がたくさん見れて満足。ナナさんの落ち着いた線が好きで、それが良く見えるのがラフなんですよね。普段よりもっと自由に描いたナナブルク絵が見れて満足。このみくるちゃんを見て。あとナナさんやっぱり長門だけ力入ってません?まぁ本人も自覚してるようですが。
既刊ではSOS団全員の私服姿が描かれていました。センスが良い…奥さんに色々聞きながら作ったそうですが、それを思うとほほえましいものもあります。
全体を通して貴重な長門以外ナナブルク画が見れて大変良かったです。

さて実はこの時点で次のお目当てが決まっていまして、ナナさんの隣にあるスペースにてめちゃくちゃ可愛いアクキーがあったんですよね。あまりにもみくるが可愛かった。さっきからみくるばっか触れていますがSOS団は全員推しです。むしろ昔は長門推しだった

こちらビエルカさんのスペースでございました。「N☆K撃退作戦大会議」というあまりにも危険な同人誌が頒布されていました。絵の可愛さに反して思想が強い。内容もめちゃくちゃに勢いが強く、パワーのある作風が大変うらやましかったですね。絵が大変可愛いのでみんなも見ろ。

髪と口と擬音と塗りが可愛い(つまり全部では?)。

あとで気付いたのですが普段は東方で活動しているそう。こっちでも目を引くようなタイトルの作品を作っていて、多分色濃い生活を送ってきたのだろうと思います。
ナナさんのスペースで7700円が飛んであと3サークル回れればいいかという感じだったのですがここでアクキー3つ(SOS団全員あったけど三人娘だけで抑えた)と同人誌をいただき3400円が消し飛びました。

12:35 破産
はい。破産しました。この時点で予算が消え去る。開始5分で破産ってなに??????
8千円払うことが確定してるんだからもっと持って行かんかいという話ですが、あと本3つ買えればいいやとしか思ってなかったで…。
アクキーをこんなに買うことになるとは思ってなかったんですよ!!!! 即売会は恐ろしいところですね……創作を始めた影響か、個人製作のモノにお金をかけるのを惜しむどころか喜んでいる節がある。

このあと仕方がないので生活費の禁を破ってお金をチャージいたしました。後日、しばらく貧乏生活を送りました。

12:45 笹に願い事を吊るす
主催側のイベントとしてSOS団部室の配置再現、パネル展示、願い事を吊るす笹の展示がされておりました。
無意識のうちに部屋のレイアウトをSOS団部室と同じにしたことがあるというキツイ過去がある私は「ウッ…」となりましたが見ていて楽しい企画でしたね。イベント中はここを眺めて劇中のシーン(原作、アニメともに)振り返っている時間が多かったです。

笹の葉にはキョンが書いていた「金くれ」を吊るそうとしたらもういらっしゃって(複数)(資本主義)(人類は金が好き)、仕方がないので真面目な願い事を書きました。世界が少しだけでも面白くなるように的なことを書いてきました。大いに盛り上げるのは団長様がやるので。


これは個人的に好きな願い事。

古みくは画にはなりますしとても分かるのですがどうでしょう……『驚愕』で未来人的には古泉はめちゃくちゃ警戒されていると分かりましたしね。
しかしハルヒで博士論文を取れるとは…ライトノベルというものの扱いも変わってきましたね。嬉しいことです。

~16:00 漁ったり読んだり眺めたり
もうすでに破産してしまった以上、あまり買えるものもなくてどれを買うべきか吟味しておりました。といっても全部結局衝動買いでしたけどね。
まず見つかったのが涼宮ハルヒの覚書こといしじまえいわさんのスペース。見た目からして異様に分厚い(94P!)”北高生ロストドキュメント”は超濃密考察+エッセイ。
私がハルヒにハマった時期にはすでにブームが終わっており、考察というものを見かけることはほぼありませんでした。なのでまさかこのご時世にこれほどの文量のハルヒ考察が読めるとは思ってもいませんでした。

内容に関して現代的オタク風に言えば、解釈の一致でした。大変共感できる考察本で、かつ驚きもあるような本でしたね。『猫はどこに行った?』の解釈はなるほどと。
こういう他の読者の生の意見をずっと見たかったんですよね。



これは私の激重感想。内容が濃いので長いのも仕方がない。ハルヒ関連でこんなに強く共感できたのマジで初めてだったし。

実際重いのは自分でもどうにかしたいところではありますね。私は推しに引かれることが結構多いので。


次に立ち寄ったのはyoさんのサークル”おいもぞーん”のスペース。本の内容はタイトル通りハルヒとキョンとサバイバルでした。
思った以上にサバイバル知識が濃密でした。yoさん自身がそういった知識を調べるのが好きなんだとか。好きを前面に押し出すのが大変同人誌らしくて良いですね…!
こういった知識を入れ込もうとすると得てして構成がおかしくなるのですが、綺麗に収まっていたのもすごいですね。オチが実に分かってらっしゃる。ハルキョンという面での解釈の一致ができました。

しばらくして、破産分もうちょっと買えるなとカタログを漁った後に向かったのが蒼萩あおはさんのサークル”りんごりラーメン”のスペース。新刊『Sunny,sunny later!』を頂きました。
絵がかわよい。頭身低めの絵は正義です。一人アンソロということで絵と小説と漫画が詰まっている。
どことなくアナログ的な絵で、星型やハート型のハイライトが可愛さを引き立てています。水彩的な絵も描いていらっしゃって、塗り上手かよ…と驚いていました。すごい。
小説がですね、良かったです。やっぱりみんな不安なんですよね、時代とともにハルヒが消えていくのが。でもオンリーの様子やこの本を見る限り大丈夫なんじゃないかなぁと思いを馳せておりました。

特に心に残ったのは周防のイラスト。ラフだけ上げていらっしゃった。かわいい(書くの何度目)絵柄なのにどことなく怖い感じがたまらんですね。


さて一通り見て回ったあとでふたたびナナブルクさんのサークル”どこここ”さんのスペースに遊びに行くことに。
当然のごとく完売しておりました。私の服装は大変目立つ(コスプレとかではない)ので覚えてくれていたらしく、完売おめでとうございますからお話始めたのは覚えています。

ここで気になったのはこれ。
私も抽選券をもらっていてポスター貰う気満々でした。番号は2。
「60枚全部配られていたら凄い確率になるな…」と確認してみたら14番くらいまでしか配られていませんでした。「意外と貰わない」とナナさんが言っていましたが、あの盛況からこれは本当に意外でしたね。

正直「抽選方法がブログだけの発表だったら確率上がるのになぁ」とか超セコイことを思っていたんですが、これはラッキー。完売している以上抽選希望者も増えないわけだから、5%以上の確率でポスターがもらえる。
去年の夏コミではこのポスターの長門版を頂いているので揃えばバージョンが揃うなーなんてことを思っていました。

んでこの訪問から30分?1時間?くらいして抽選発表が。


間違いでは????????(実際言った)(抽選三度見)(震える体)
やっぱ私はよほど良い星の下で生まれたんだなぁと再確認しましたよね。ナナさんのポスター2つ持っている人って他にいるの?

というわけで勝ちました。早起きして結局列並びでやらかしたのも番号調整だったんですねぇ。


会場の雰囲気は大変良かったですね。アニメBGMやSOS団キャラソン、ENOZの曲が流れていてそれだけで思うことが色々。

”まっがーれ↓スペクタクル”の開幕古泉セリフでみんな押し黙ったり一人つい声を上げちゃった方がいたりで「みんな本当にハルヒ好きなんだなぁ」としみじみ思っていました。私もテンション上がってましたけど。”雪、無音、窓辺にて”が流れた瞬間スタッフさんが「来たわ」って言ってたのも印象的。私も同じこと思っていました。あと”God knows…”で指トントンしてたスタッフ!!!!!! 良い!!!!!

個人的に一番ヤバかったのは”ジムノペディ”ですね。あの曲聞くともう色々ダメだ。ハルヒのオタクはジムノペディ聞くと切なくなるということは定説。『消失』はオタクに強い影響を与え過ぎた。
壁際にもたれかかって何もできませんでした。消失のことを思い出すと色々泣きそうになってしまう。

BGMだけで色々思い出すのでやっぱり自分はハルヒオタクなんだなぁとしみじみ感じさせられる。

さて良いなぁと思ったのはBGMだけでなくてね。
お若いスタッフさん(未成年かもしれないくらい若い)が「周りにハルヒそこまで好きな人いなくて」「好きな作品のこういうイベントに出れて本当に嬉しい」ということをお話していて「分かるーーー!!」って心で叫んでおりました。

私もハルヒ好きとして、ずっと孤独感を持っていたんですよね。
オタク仲間はおれど、ハルヒオタクはおらぬ。そういう状況で育ってきた私には「私はここにいる」と校庭からメッセージを送ったハルヒの気持ちが良く分かります。だから、今回のイベントは本当に嬉しかった。みんながハルヒのグッズ買って、ハルヒの曲を聴いて、ハルヒでやったことをする。こんなに楽しいことはありませんよ。


そんなこんなで閉会。最後は即売会恒例の拍手で終わり。今開催を決意なさった太郎さんに感謝を込めて、ありがとうございました。

過去最大に長い日記記事になりましたね…。東方MMD制作者で通してるんだからもうちょっとこう…。いやでも仕方ないじゃん。アイデンティティの形成に一役買った作品ですよ。そりゃあ思い入れもデカい。一番共感できるのがハルヒで、一番応援したいのがみくる、一番報われて欲しいのが長門、一番活躍して嬉しいのが古泉、一番多くのことを学んだのがキョン。本当にSOS団のみんな大好きなんですよ。

良かったです。本当に。参加出来て嬉しかったなぁ。

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茨歌仙最終話を踏まえた茨木華扇

※この記事は漫画”東方茨歌仙 ~Wild and Horned Hermit~”を最終話を含めた全話を読んだ方向けです。ネタバレがございます。ぜひとも漫画本編を片手にお読みください。

先日発売されたFebri VOL.55(2019年7月号)にて東方茨歌仙の連載が終了いたしました。
最終話を終えて思ったことは色々ありますが、中でもまとめておきたいのが茨木華扇(茨華仙)というキャラクターについて。
華扇は謎めいていて達観的、されども庶民的で親しみやすいというように多くの表情を持っています。「ギリギリ矛盾していないダブスタが多い」と私は思っているのですが、まぁたくさんの ”二面性” があるキャラです。
そのせいで華扇のキャラはちょっと分かりにくい。東方キャラは往々にして性格が分かりにくいのですが、まぁ華扇はこの”二面性”もあるものだからより難しい。時間を置くと「あれ華扇って結局どういうキャラだっけ」と忘れてしまいそうになるので、思ったことが抜けないうちに書いておこうというわけです。

〜〜〜〜この先ネタバレ〜〜〜〜


-まずはおさらい!茨木華扇ってどんなキャラ?

華扇の特徴をサラッと書きまとめてみましょう。
・仙人であり、鬼である
・やや謎めいた雰囲気がある
・やたらと裏活動したがる
      ・ドヤ顔が似合う
      ・仙人のくせに食事を好む
      ・二次創作で淫ピ呼ばわりされる
この三つは作品内(および深秘録)で繰り返し強調されてきたことですね。
以前の記事にて詳しく書きましたが、ここら辺は設定のブレがある東方作品と言えども確定事項であると考えて大丈夫でしょう。

また、すでに前述していましたが個人的に感じているのは二面性。
動物を導き、霊夢には説教をかまし、人知れず活動している浮世離れした仙人的な一面。気に入らない怨霊をグチサァし、「化け狸風情が」と問題発言をし、炒った豆を嫌う鬼的な一面。
モグモグしながら現れる、デフォルメおろおろ顔を見せるなどの可愛らしい面。時折恐ろしく悪そうな顔になったり、意味深なことを言って底の知れない何かを感じさせる怪しい面。
動物たちの使役に関してドヤ顔を見せるなどの自らを誇る面。人知れず活動をし、記憶消去などを用いた隠蔽を行う目立つことを嫌う面。

こんな風に華扇は相反するような要素を多く持っています。
そもそも鬼と仙人という二つの要素のあるキャラですから、これも意図して作られているのではないかなぁというのが私の予想です。

普段は楽しそうに生活してるけど、目的のためとあらば強行も辞さない。そんなところが華扇の魅力じゃないかなと考えております。


-茨歌仙最終回で明かされた華扇の目的

さて華扇というキャラを大まかに理解するために、凄く大事なことが最終話で描かれました。
最終話における華扇の独白において、切り取られた腕には彼女の邪気が込められて封印されたとあります。
そして邪気のなくなった華扇は地獄のような現実に興味がなくなり、仙人になったと。

つまり『華扇は真に仙人になりたかった』ということです。

茨歌仙を読んできた方はこの事実にビックリしたのではないでしょうか。私は「は???!!?!??うおぉお?!!!へぇっ!!!!!」みたいな奇声上げました。

前回の記事には書きましたが、華扇はかつて「仙人生活はただの隠れ……(隠れ蓑?)」「良いことしてるように見えるはずなんだけどなー」などという発言をしております。
これらと今回の事実は明らかに噛み合いません。初期の描写では仙道を歩むことが目的ではなく、建前として扱っているように見えますからね。

端的に言ってしまうと、昔の設定が微妙に消える “いつもの東方現象” が起こっていたのだと予想できます。
最終話が載っているFebri VOL.55には神主さんとあずまあやさんへのインタビューも掲載されています。この中で神主さんは「これまで華扇が主人公としてほとんど動いてなかった」「初期は陰のある紫的な立ち位置だったが、ユルい保護者みたいになった」と言っているあたり、華扇というキャラ自体がどこかのタイミングで変わったのでしょう。

というわけで初期の不穏な感じは忘れた方が良いです。完全になくなったわけでもないようですが、少なくとも1巻のままのキャラではありません。


-メタ的な華扇の変遷! いつもの東方現象はどこで起きた?

さて “いつもの東方現象” です。茨歌仙ではどこで起きたのかなぁと考え始め、まず思い出したのが7巻収録の ”茨華仙の進む道“ でした。

この回にて、華扇は「私の理念は天道と共にある」と発言をしています。
最終話を読むまで、私はこの発言をキッチリ受け止めることができませんでした。今までの見てきたどこか陰のある華扇と天道という華々しい言葉が結びつかなかったのです。

しかしこれには「華扇がもはや初期の華扇とは違う」というメタ的な意味も含まれているのだとしたら。
「私はあなた(紫)側ではない」という言葉から続いたこのセリフは、神主さんの中で紫と華扇の立場がまるで違うから(違くなったから)出たのでは。
そう思うと、何年越しかでこの天道発言が腑に落ちたのです。

かーなーり考察厨じみた私見になりますが、この回は『茨木華扇というキャラの設定はもう既に変わったのだ』とハッキリと決定させるための話だったのではないかと考えています。

まぁその後紫との対面を霊夢に見られないように逃走しているあたり、相変わらずだなぁという面もありますが…。完全に善人キャラになったわけでもなく、まぁ良い感じに鬼成分がアクセントになった真面目キャラに落ち着いた感じですかね。

こう見ればこの回で “いつもの東方現象” は完全に起こり終えて、神主さんの中では華扇のキャラは別物になったと見れますね。7巻はあずまあや先生の絵柄の変遷も収まり(ブラッシュアップは起こるけど)、色々な意味で茨歌仙が形として収まった巻だったのでは?

では “いつもの東方現象” の起こり始めはどこか? こればっかりはなんとなくでしか分かりませんね。

強いて言うと、という感じではありますが……深秘録でしょうか。
今作のEDにて華扇は「用事を済ませるために外の世界に出たものの、あんまり意味無かった」といったことを語っており、これは茨歌仙最終話の回想で描かれたことを指しているのだと考えられます。
深秘録製品版が頒布されたのは5巻の内容が連載しているあたりです。この頃にはすでに茨歌仙のオチの想定されていて、華扇のキャラも初期の大悪党とは違うものになっていたのかな?なんて思ったり。

また深秘録では「猿の手が願いを叶えてくれるなら、猿の手のままでいてもらおう」ということも言っています。
猿の手のままで。自分の手ではなく。これは「猿の手では換えが効かない」という意味だと思っていましたが、最終話を踏まえれば「そもそも腕を生やすことが目的ではなかった」ということだったと読めます。
深秘録と最終話で繋がる点が割とあるあたり、やっぱりこの頃には華扇のキャラの変遷は起こっていたんじゃないかなぁ。

少なくとも大悪党だったのは3巻くらいまで? そこから変遷していき、7巻では完全に良い人になっているというのが持論です。


-仙道を歩むという華扇の目的

華扇の目的というのは今までずーーーっと明かされてこなかったのですが、今回『封印された腕をただ隣に置いて仙道を歩む』ということが分かりました。
彼女は腕の完治、鬼としての完全復活などを望んでいなかったわけです。

これには「はーーーーーーーんなるほどーーーーーーーーーーーーー」となりました。
腕に関してなにかしらケジメをつけるのでは、とは想像していたのですが「そばに置いておくだけ」というのは予想外。
てっきり腕を消滅させることが目的かなとか思ってました。
もしかしたら華扇ごと完全消滅するという悲しい終わりになるかも、とか予想しましたが東方でそんな悲しい展開が東方で起こるわけはない。

この回以前で華扇の目的について言及があったのは4巻での萃香との会話ですね。
萃香は「華扇は結界を突破して腕を探しに行くために、正体を隠して博麗神社に近づいている」と予想していました。確かに博麗神社といえば結界です。阿呆のようで幻想郷の知識が結構深い萃香がこの予想をするのは当然と言えば当然。

しかし華扇はこれに対し「別にそういうつもりでもないけど」なんて内心独り言ちています。
実際、結界がらみで神社に近づいている意志はなかったんでしょう。「神社が結界の境界である」ということを華扇が知るのは5巻の話。

話がズレますが5巻で結界について知ったとき、華扇は「それはそれは」と意味深な反応をしています。多分深秘録の前振りでしょう。
深秘録では華扇が神社にて結界を壊していますが、当然神社が結界の境界だということを知っていなければこの行為は不可能なわけです。華扇が結界の情報をここで知ることで深秘録のストーリーが成り立つ、という流れ。

では神社に近づいたのはなぜか。
これは一話のセリフを素直に受け取ればいいのでしょう。「仙人として神社の様子を憂いていた」「俗界に興味が湧いてきた」とかそういう仙人らしい理由になるでしょう。

結界のことは元々知らない。「腕を再封印するには一度霊夢に自分を倒してもらう必要がある」ということも外の世界で腕を見つけて初めて気づいた。つまり、計画的に神社に近づいたわけではないということになります。

それに華扇は一話時点で説教好きの仙人であると言われてます。
霊夢の商売下手さを指して「見るに堪えない」と評し(深秘録)、早苗には「霊夢のお母さんみたい」と評される(8巻)ようなキャラです。神社をどうにかしようとするのも不自然ではないでしょう。

でも大悪党発言とか考えるとなぁ、となる気持ちもありますがそれは全て”いつもの東方現象”という言葉で片付けましょう。

華扇の目的はかつてのケジメとして腕を手元に置き、仙道を進むこと。
神社に近づいたのは仙人としての活動の一環で、悪いことをするつもりはなかった。色々なことを考えても結局明文されたこれが真実なんだと思います。


-結局華扇もワガママな東方キャラの一人

私が個人的に最終話で一番よかったと思うのが、華扇が仙人になりたい理由が ”邪気が消えた影響で現実に興味を無くしたから(天界へ行きたいから)” であったことです。

腕ごと邪気を封印されたというキッカケはあるものの、仙人になりたい"から仙人を目指しているというのが凄く東方らしくて良い。
これこれこういう過去があってこういう因縁だからこうしているなんてことになったら幻想郷に住む妖怪らしさが消えますからね。自分の欲望のために生きているワガママであってこその東方キャラですよ。

憑依華のドレミー曰く「夢華扇は静かに暮らしている」とのこと。解釈の一致でした。
最終話の回想および「人に近づきたかったから」(4巻)も含めて察するに、彼女は鬼の生活に嫌気がさしたので仙人→天人となって平穏な生活を手に入れたいのでしょう。
天界というのは天子曰くつまらない場所だそうですが、華扇にとってはピッタリでしょうね。

一巻の怪しい発言を除けばですが、考えて見ると凄く今までの描写と噛み合いますね。だからこそ、華扇は本当に仙人になりたいのだなぁと思えるんです。

腕は危険だという描写こそありましたが、あくまで目的は腕をそばに置いておきたいということ。仙人になるのも穏やかに暮らしたいから。そこに大義はありません。ただ華扇がそうしたいだけ。
茨歌仙を東方らしく、かつスッキリと、今までの描写に沿った形で終わってくれたことが物凄く嬉しいのです。

茨木華扇はただ鬼というだけでも仙人というだけでもなく”華扇” だったんだなぁと思います。ごく個人的な思いを持って生きている一キャラクターです。
矛盾になりそうな二面性を多く持ち、鬼らしくも仙人らしくもあった華扇というキャラの着地点として茨歌仙最終話はピッタリとはまったととても感じるのです。


-終わりに

東方茨歌仙は私が東方をちゃんと好きになるキッカケになった作品で、個人的にはそりゃあもう思い入れがある作品です。
もっと作画についても書きたいところなのですけどね、絵の知識がないためどう表現していいか分からないのですよ。無知でも感じることはできますが、表現は難しい……。ただあずまあやさんの絵の変遷は見ていて本当に好き……3巻の丸まった感じの絵もいいけど初期の一枚絵も好きだし7巻31話の表紙はとてもビビットだし、5巻からのデフォル目にしない表情の付け方がめちゃんこ好きだしかといってデフォル目おろおろ華扇めっっっっちゃ好きだし、線の太い細いを回ごとで試行錯誤しているのもいいし特に24話の劇太エッジの悪い顔華扇ちゃんが好きで(ry

「連載終了して寂しい」という思いはあまりなかったりします。それよりも「ちゃんと終わってくれてよかった」とか「9年間お疲れ様」とかという気持ちの方が大きいですね。後腐れなく終わってくれることのどれだけ素晴らしいことか。
大好きだからこそしっかり幕引きをしてほしかった。それが叶ってうれしい限りなのです。

神主さんとあずまあやさんら漫画制作の方々、発行に関わる一迅社様ならびに大日本印刷株式会社様、お疲れ様でした。





追伸
ただグチサァの原理とか河童の腕とかまだ気になるところは残っていますよ!!! 今後触れられることあるのこれ?!??
あと「鬼の象徴である角の大きさは邪気を表していて、だから腕ちゃんの方が華扇より角が大きいのかな? 本体にも角が少し残っているあたりなるほどなぁ」なんてことも思いました。

2019/09/27 最終巻購入の勢いでタイトルやら読みにくい部分やらを修正しました。

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顔が良い女を使って一生誰かを勘違いさせる作戦を考えた

昨日投稿しました。動画はこちらから。


手のポーズがアレ。指のポーズ取りはイマイチ分かりませんね。

顔が良い女シリーズは多分この作品で完結です。
紙芝居は簡単に作れるのでピンチのときの自給自足に向きますね。


毎回思ってるんですけど、このシリーズで頭おかしいの霊夢より魔理沙なんですよね。
なんでこんなこと言われてんのに遊びに来るのか。まぁ公式で霊夢が大好物とあるのでそれに従った結果なんですけども。

どの動画でも大まかなプロットを作ってから制作しているのですが、今回のオチは二人の異様な仲良し具合を使おうということでこういう形になりました。
博麗霊夢ゥ! なぜ君が顔は良いのにモテないのか、なぜ霧雨魔理沙が何を言われようとも遊びに来るのか、なぜ博麗神社に布団は一組だけしかないのクワァ! その答えは一つ……。という話。


シリーズ的にも良いオチがついたのでは。


他に意識したことと言えば、下ネタとメタネタをサラっと言うことですね。

東方MMD紙芝居といえばこの二つなので(偏見)、使ってみたかったんですよね。ただ痛い感じにはしたくないので、どうしようかなぁと色々模索。結果、サラっと言えば面白いのではという結論に至りました。
あんまりしつこい感じにしない。「メタネタやめろwwww」とかすら言わせないくらい間もなくサラっと言う。これが正解では? ということで今回は色々サラっと言います。

結果キャノンボール周りの話を知らないと意味が分からないことに。やや反省。でも無料女のくだり天才的だと思うんですよ。


さてこのシリーズでは顔面の良さがネタ以上重要です。タイトルに顔が良いって入ってるので。
色々可愛い顔を作るのは楽しいですね。

これはボツになった華扇ちゃん。かわいい。
HAtoonが似合わないモデルって存在するの? っていうくらい誰でも可愛くなる。まぁ私の推しモデルはいつでもかわいいですけど。

顔が良い女シリーズ作ってるとだんだん表情作りが上手になっていきますね。やりゃあ上手くなるのはどんなことでも通ずることですね。巡り巡ってアクションでも紙芝居で得た技術が活きることでしょう。


三作目となると書くことがないですね。まぁ前回前々回といっしょに読むといいかもしれないです。あとがきカテゴリからどうぞ。

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