The Grimoire of Usami 東方考察 2019年05月05日 今日は例大祭でしたが私は遠征が来月に二度あるので行けませんでした。Nibiさんと群青アンブレラさんのCD欲しかったし、なんかラウさんもCD参加してるとか言っててブチブチにキレてました。そのストレスを打ち消すべく今日はMMDやキングダムハーツ2FMをやったり、グリウサを読んでいたりしました。さて、グリウサです。The Grimoire of Usami。このタイトルは過去に発売された弾幕紹介本「The Grimoire of Marisa」を彷彿とさせますが、グリウサでも同様に弾幕紹介を基盤とした作品となっています。今回の記事はそんなグリウサを読んで私が色々思いついたことをズラズラ書いていきます。グリウサの内容に触れる前に超大事な前説を!!!!外来韋編2019springでの神主さんへのインタビュー!!外来韋編、みなさん買っていますか? 神主さんへのインタビューや各キャラのクロスレビューはよく話題になりますね。私個人としてはライターの塩田信之さんの書くコラム「幻想のもと」が一番の楽しみだったりします。東方の元ネタを掘り下げ、東方作品での設定のキーワードの出自、神主さんの発想の元などをダイレクトに教えてくれちゃうというめちゃくちゃに面白い記事です。ズラズラと歴史を書くだけではなく、しっかり東方に関わる部分をピックアップしているのがめちゃくちゃ分かりやすい!!さてそんな外来韋編の2019spring!巻頭大特集はずばり、東方スペルカードFAQ。神主さんが東方スペルカードに関してアレコレ話すインタビュー記事です。グリウサではキャラたちが見た弾幕の紹介になるのですが、こちらはかなりメタ的な視点で見た内容になっていてなかなか面白い。ゲームの主役となる弾幕にキャラクター性を持たせよう、と名前をつけたのがスペルカードの由来。どうやって弾幕という攻撃に面白さを出すかという神主さんの努力が垣間見えます。このインタビューのラストにて、神主さんは「これからは斬新さより東方らしさを目指すかも」という旨を話しています。神主さんは原作のおまけやらインタビューを見る限り、(失礼な言い方ですが)ゲーム懐古厨です。映像技術が上がっていく中でゲーム性と演出がゲームの中で離れ始めた時流を嫌い、古き時代の遊びと演出が同時に立っているゲームを愛しています。そういう意識からゲームと演出がちゃんと組み合わさりつつ新しい、いわゆる「21世紀の20世紀延長型STG」というゲームを神主さんは作ってきました。それが東方というジャンルで受け入れられ始め、演出乖離の時流の中で今しっかりと確立しているわけです。そんな中で神主さんが開拓より継続をやりたがるのは自然な流れかもしれません。さて、このインタビュー。思うにグリウサの前振りです。そうじゃなかったとしても、このインタビューで神主さんが語った弾幕のキャラ性や東方らしさというのが色濃く出ています。グリウサはただの弾幕紹介だけでは終わらない!!東方世界に飲み込まれるロールプレイング型弾幕レビュー!みなさんゲームブックって読んだことありますか。読み手が選択をしながら物語が進むという、さながらロールプレイングゲームのような本です。読んでいるうちに自分がどんどん作品の世界に入っていく感覚が凄く面白い。グリウサは読んでいてそれに近い感覚がありました。さて、グリモワールウサミはいきなり漫画のページから始まります。董子との会話の中で霊夢は弾幕花火大会というものを思いつきます。立案者となった霊夢、魔理沙、董子に加えて早苗、咲夜、妖夢といういわゆる自機組が審査員となり、弾幕花火の良し悪しを評価するという一風変わった花火大会が開催されるというのが内容。漫画ページが終わると各キャラの弾幕のスクリーンショット、使用者のコメント、花火に対する審査員たちのコメントと点数が乗るページが続いていきます。クロスレビューの好評ぶりに応えるあたり、買い手に優しくなったなぁなんて思う。さきほどゲームブックに近い、と書きましたがグリウサにおいては選択肢というものはありません。けれどロールプレイングにおいてプレイヤーを世界へ引きずり込む強大な武器が隠されています。それは余白と材料。読み手側に「こうなっている」という説明を与えつつもしっかりと描き切らないという古き良きRPGの世界です。例えば成美ちゃんの業火救済のぺージ。画面下から弾が出てくるというめちゃくちゃやり辛い弾幕ですが、成美のコメントでは「観客席から湧いてくる花火!」とあります。画面の下から弾が出る弾幕=観客席から湧く花火。つまり弾幕のスクリーンショットにおける画面下というのが観客席側であるということがここで判明するわけです。審査員たちのコメントでは「観客が危ない!」だの「会場がパニックになった」だの書かれ、ここで読み手には「画面下=観客席側」「火っぽい弾=本当に火のモノもある」というルールが印象付けされるわけです。しかし字として書いているだけで、観客席から火が立ち昇る絵なんてものはありませんし実際に私たちがその様子を見る手段はありません。つまり想像で補うしかないわけです。これが不思議なモノで、想像させるということは実際にモノを見せるよりも読み手を物語へ引きずり込むパワーがあります。古いRPGをやっているとき、戦いの情景を思い浮かべたりしませんでしたか? もしくはキャラの性格勝手に考えてこういうこと話してそうとか想像したり。あの感覚です。でも何もないところから想像していたわけでもないでしょう。キャラのステータスや見た目、豪華とは言えない演出、ちょっとしたセリフなど想像の材料をちょいちょいと与えられるからこそ想像は捗るもの。グリウサでは弾幕花火を”実際に”見ているキャラたちの反応、それらから分かるルールが想像の材料となり花火大会を楽しむキャラや幻想郷の風景を思い浮かべられるという出来になっているのです。水に関する弾幕では「びっちょびちょになる」や「実は防火措置である」といったフレーズが出たり、生き物が関わるような弾幕だと「気持ち悪い」や「グロい」など生々しさに引く様子が出てきたりと、弾幕を見ている人たちの感想が生き生きしているのも相まってどんどん東方世界へ飲み込まれます。これも20世紀型の演出の一種ですよね。神主さんこういうの本当に好きなんだろうなぁ。ちゃんと新しいモノが入っていて、21世紀の20世紀型ゲームブックになっているのが東方らしいというか。解釈の一致多数!キャラクターたちの個性爆発コメント!弾幕花火それぞれに書かれるコメントは神主さんが書いているだけあり、キャラの個性をしっかりと踏まえられたセリフばかりです。特に審査員たちは点数の付け方やコメントから物凄くキャラ性が伝わります。個人的な印象を一覧にしていきましょう。-霊夢”実際に”見た感覚や弾幕全体の完成度を重視している様子。弾幕の美学が根幹にあるようで、ぱっと見が派手でかつバランスが良いモノに高評価をしている。美学に反しているものには割と容赦ない批判をしてくる。お金と食べ物に釣られるあたり非常に霊夢。-魔理沙全体を見る霊夢が「しょぼい」など言っているときに、技術とか発想を切り出して評価してたりする。結果がダメでも出来たところを評価してくれるやさしさの塊。一部分の技術を見るのはよく弾幕の真似をする勉強家だからこその視点かも。場を繋ぐために花火を出したり、安全を考慮して懐中電灯使ったり、やさしさに満ち溢れている。-董子色数や弾で出来た模様などの要素が多いものを評価している。弾幕の雰囲気や派手さが好きらしい。ぱっと見の印象重視で、純粋に見慣れない弾幕を楽しみながら審査してそう。中二病らしく”そういう”モノにも反応している。-早苗弾幕を出しているキャラの動作への言及を多くしている。他の審査員とは違い、弾幕と弾幕を張っているキャラを両方よく見ている? 妙に面白いツッコミを多くしているあたり、見たものからの感受性に富むのかも。影響されやすいのってそういうことかと納得。-咲夜誰よりも観客への安全性を評価している。花火の評価をしろ。咲夜個人としてはスリリングな速い弾幕が好きなようで、ゆったりとした弾幕は物足りないといった評価をしている。それでも高得点を出しているのは速い弾幕<安全性考慮した弾幕。もてなしの気持ちで溢れているというか、なんというか。-妖夢完全に見たまんまの所感が評価基準。自分の好みだったり、感覚で評価している。審査かどうかなかなか怪しい言動多々。聖の魔法銀河系を「めっちゃ簡単そうじゃない?(笑)」って言っているあたり、本当に見た目の感覚で生きている子なのだと思う。私は読んでいて解釈の一致を起こしまくってました。審査の仕方が実に自機たちらしい基準で、妖夢除く各々がちゃんと考えて審査している雰囲気が伝わってきました。神主さん大変だったんでしょうねこれ……。弾幕を打つ側のコメントもどうしてその弾幕を花火として使ったのか伝わってきて、面白いものでした。特に神子……。心綺楼から尊大さがとどまることを知らないですね。今までセリフがなかったキャラが喋っているのはなかなか衝撃ですね。静葉は初にして唯一のセリフがそれでいいのか。幻想郷はファニーウォーでできている!!スペルカードの神髄とはグリウサにはバカでかい驚き要素が一つ仕組まれていました。それはまぁ言わずもがな、ですので言わないでおきます。こういうことは黙っておいた方が風情があるので。さて、その驚き要素で投げかけられたのはスペルカードの神髄。スペルカードの美しさは何に起因するのかということ。本来スペルカードは戦いの中で使うものです。その中でだからこそ輝く、というのが投げかけ。戦いの中で美しく攻撃するのが風情があるのであって、花火などは侮辱である。そういうことでしょう。実際プレイ動画で弾幕を眺めるより、必死に避けているときの方が弾幕の印象は強く残ります。ただスペルカード戦というのは、はっきり言ってしまえばファニーウォーです。弾幕は当たれば痛いし下手すると死ぬと過去に神主さんが発言していますが、見た目にこだわっている時点で弾幕というものに殺意が込められているなんてことはあり得ないのです。弾幕アマノジャクの反則スペル、紺珠伝の純狐などといった反例が出たおかげでその点はむしろ強調されてきたでしょう。なのでスペルで戦っているといっても、それはどこまで行っても”体裁上”戦っているだけであって殺意なんてものはあり得ないのです。でも、だからといってそれをあっけらかんと言うキャラは誰もいません。誰もが戦っているフリを装い続けます。それは上記のように、戦いの中で美しく攻撃するのが楽しいからなのでしょう。楽しむために演じ、ルールに則って戦い、買った負けたといっても誰も死なない。それがスペルカード。ようは緊張感を演じているに過ぎないのです。これは妖怪と人間の関係にも通ずるところがあります。妖怪は存在のために人間を脅かすフリをして、脅かす相手を生かすために人里を守っている。人たちもそれを理解して、妖怪に怯えるフリをしながら生きている。ファニーウォーがここでも起きています。幻想郷はファニーウォーで出来ているのです。楽しむためだったり生きるためだったり、色んな得のために妖怪たちは役を演じて生きているのです。それが幻想郷の成り立ちであって、スペルカードにもそれが強く出ている。スペルカードはそういう回りくどい妖怪たちの遊びの象徴と言えるかもしれませんね。長々と書いた。グリウサの個人的な一番の驚きポイントは早苗が妖夢を「妖夢さん」と呼んだことですね。霊夢以外の自機との絡みが全然ないので。まぁ会話ではないし絡みかっていうと微妙なところですけど、名前を呼んだのがなんとなく衝撃でした。あとは雛……唯一の解釈違いでしたあれは。いやでもちゃんと考えれば変でもないのかアレは。非常に楽しい本でした。つらくなったら東方好きなグリウサを読めばどうにかなる気がします。今日の心の状態:上向き。散々遊んで余裕ができてきた。 [0回]PR