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思いついたことを書き起こして考えを整理させてます。

【GQuuuuuuX考察】本物と偽物、パロと本家

※本記事はGQuuuuuuXを8話まで見た筆者により作成されています。

MAV戦術によって隠されたテーマ

機動戦士ガンダムGQuuuuuuXがネットを騒がせてより早半年。放映中のアニメも大変熱狂的な人気を誇っている昨今です。

この作品ですが機動戦士ガンダムを題材としたIfストーリー……を出汁にして作った鶴巻・榎戸汁たっぷりのジュブナイル作品という意味不明なトンチキ構造をした、おおよそビックタイトルの続編とは思えぬとんでもない代物となっており、皆々様におかれましては大変混乱していることと思われます。
ガンダム知識を容赦なく刺激してくる小ネタの数々、狂気的にさえ思えるほどの思春期の輝き、道を外した行動に対するハラハラ感……圧倒的な情報量を不意打ちや連携を絡めて打ち出し、こちらを確実に打ち抜いてくる様はまさしくMAV戦術。見ていて話題に事欠かさない素晴らしい作品です。

さてそんな情報量に押し寄せられ、話の更新がされるたびに最新話の話題ばかり口に出してしまいそうな今作。一旦冷静になって全体を見返してみると意外な共通点が見受けられます。
コロニー生まれの私たちは、本物の重力も本物の空も知らない。(1話 アマテ・ユズリハ)

これが、本物のMAV……(3話 エグザベ・オリベ)
執拗とも言えるほどに、本物というワードが使われているのです。
直接「本物」という言葉を用いずとも、「あれが本物の赤いガンダムか……?」「これがジークアクスのパイロットか……?」と本物かどうか疑う展開が非常に多い。本物のニュータイプ(シュウジやマチュ)を指したセリフを含めるとさらに多い。庵野脚本の2話は例外です。
頻繁に使われており、主人公であるマチュの主目的にも大きく関わっているこのワード。機動戦士ガンダムの小ネタや少女らのリビドー的行動に隠されがちではありますが、この本物という言葉こそが本作のメインテーマの一つではないでしょうか。

本記事では一度このワードを通じて本作を振り返ってみようかと思います。

本物とはなんぞや

作品の舞台だったイズマ・コロニーにおいてはコロニー自体を回転させることで1Gの遠心力を生み出しています。しかしその1Gは決して星の質量による引力ではない。
マチュはこれを本物の重力と見なしていません。

けれどどうなのでしょう。実際に足を地につけ、走ることができるのは立派に重力といえるのではないでしょうか。ただのコロニーの回転だって、少なくとも重力としての機能だけは立派に果たしています。
何をもってこの1Gは偽物とされるのでしょう。要するに、機能ではない何かがポイントではないでしょうか。

他でいうとキラキラ、もといニュータイプ。
1話において、ジークアクスに搭載されたオメガサイコミュをニュータイプであるエグザベ君が起動できず通りすがりのマチュが起動してしまいます。まるでマチュこそが真のニュータイプであるかのような描写。
また、そんなマチュ自身も4話において同じキラキラを共有するシュウジとの差を感じています。これはニュータイプとしての差というか単純な腕前な気もしないでもないですが。
ではシュウジが最も優れたニュータイプかと言われるとそれもまた微妙。1話ではシュウジが操る(とは実はまだ言い切れなかったりしますが)ビットをエグザベ君が見事に撃墜しております。少なくとも腕前でエグザベ君が劣っているとは思えません。

エグザベ君は優れたパイロットでありニュータイプではありますが、マチュとシュウジとはニュータイプとして一線を画されているのも事実。エグザベ君は本作における"本物"のニュータイプではないと言えるでしょう。

また7話においては強化人間のドゥーがかの有名なサイコ・ガンダムを操縦するもシャリア・ブルに撃墜されるという圧倒的な大敗をしております。あれほどニュータイプであることを誇示するようなセリフを吐きながら、肉眼で後ろを確認するというニュータイプにあるまじき様子まで晒す始末。
作り物では本物にはなりえないと言い切っているかのような描写です。

エグザベ君はフラナガンスクールなる士官学校出身であり、シャリア・ブルの口ぶりから察するにおそらくニュータイプ育成を目的としたカリキュラムを受けているものと思われます。この仮定を踏まえると、ドゥーもエグザベ君も人為的にニュータイプを再現しようとした養殖ニュータイプであることが共通しております。
そしてそれはイズマコロニーの重力にも同じことが言えるでしょう。人工的に作られたものは本物ではないのです。

まぁ作中を見ていればなんとなく分かることを長々と書き連ねましたが……作中における本物というのは自然発生したものを指しているということです。

そして本作はその本物を追い求める描写が非常に多い。
マチュは本物の重力と海を追い求める。シャリア・ブルは本物の赤いガンダムとシャアを追い求める。ゲストに出てきたシイコも何もかもを掴み取れる本物のニュータイプへ固執し、ドゥーは自身が真なるニュータイプであることを求めた。
GQuuuuuuXとは本物を追い求める人々を描く作品なのです。

GQuuuuuuXという偽物の作品

本物という描写が大量にあることを指摘しましたが、本作はそれに反して偽物の描写が異常に多いです。
平たく言うと、機動戦士ガンダムのパロ・小ネタが多すぎる。

映画館にてBeginningを見た方はまぁ共感していただけるでしょうが、開幕から一話そのままパロしてきたことには笑いをこらえることができませんでした。
しかもそこに登場するのは知ってるけど知らない形をしたRX-78ことガンダム。そこからさらに赤で塗装されたかと思いきやサイコフレームを搭載され、なぜか主力武器はみんな大好き質量兵器ことガンダムハンマー。果てはゲルググはジムになるわ、リックドムには見慣れぬ三本目の足が生えるわ……。
あまりにも偽物の描写が多い。軽キャノンってなんだよ。

偽物なのはこれだけではない。
マチュがスマホを落として吹っ飛ばすシーンはフリクリでベスパが大破するシーンの構図そのままだし、ブラウ・ブロもといキケロガがソロモンに向かって飛ぶシーンはトップをねらえ!5話そのまま。なんか8話でエヴァを急にパロしだしたし、予告ではトップをねらえ!そのままの「お姉さま」呼びまで飛び出す。

これらの小ネタはどうやらインターネットで拾われて大いに盛り上がりに貢献しているようですが、そういった盛り上がりは作品の本質ではないと考えます。あらゆる作品のパロをそこかしこに内包された「トップをねらえ!」のファンである鶴巻監督らしい作品作りではありますが。
思うに、上述した本物に対する対比を狙った描写ではないでしょうか。

これらを雑に解釈してしまえば本物であるファーストガンダムは凄く面白いという訴えにも見えます。
GQuuuuuuXにおけるこういった小ネタ描写はすべて紛い物。本作のルールにのっとるならば、決して本物には敵うものではありません。まぁ、パロばかりでは作品としてしょうもないという見方さえできてしまいます。

しかし私は思うのです。これらの描写はマチュに対するエグザベ君、シャリア・ブルに対するドゥーと同じものではないかと。
本作は非常に作りこまれたIf宇宙世紀の背景を見せておりますが、それはあくまで人工的にファーストを模して作っただけのもの。本作における天然100%のものとは? 過去のどの作品にもない、GQuuuuuuXだけのオリジナルは何か? そう、マチュら本作のオリジナルキャラたちです。

本作の本物は、彼らの情念ではないでしょうか。

確かに数々のパロは非常に、異様といえるほどに面白い。大気圏突入については腹よじれるほどに笑った。でも、それでも、やっぱり本作の本物はマチュなんです。
紛い物の宇宙世紀の中で浮いてさえ見える、思春期をふりまいて宇宙のかなたに飛び出していくあの本物が、本作の肝なんです。なぜなら、マチュは本物だから。

本作の行き着く先とは

毎度のように予測できない方向へ話が広がる今作。
ただなんとなく行き着く先は先立って予想しております。予想というか、鶴巻監督の過去作から経験則のように推測しているのですが。

フリクリにしろトップをねらえ2!にしろ、この監督は思春期のきらめきのすばらしさを訴えてきました。思春期大好き脚本家の榎戸もまた引き連れてきたのだから、今回も同じパターンに違いないのです。それを今回の記事で書いた気付きを踏まえて、より強い確信を持つことができました。

偶然にも、記事を書いている最中に本作のパロが分からず置いて行かれた感覚になっていると思われる投稿を見かけました。
反応の多さを見るに似たような人は多くいるのでしょう。

しかしそういったパロは大事な屋台骨ではあるものの、本質ではないと私は考えます。
本作が描きたいのはそういったパロだけでは決してない。過去作の知識なんて、本質に触れるうえでは必ずしも必要ではないでしょう。少し卑屈になるくらいならインターネットを離れてもいいので、ぜひそんな理由で本作から離れてほしくない。
むしろ私からすればパロに惑わされず純粋にGQuuuuuuXを楽しめて心底羨ましいくらいです。

鶴巻和哉の描く本物をキッチリ見定め、榎戸洋司に全員人生を破壊されろ。

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