劇場版ドラゴンボール「復活のフュージョン!! 悟空とベジータ」は大変すばらしい作品であることは世に知れ渡っていることと存じますが、作中にてベジータの心理描写がこれでもかというほどに見事に描写されていることはご存じですか?
カカベジのオタクにとっては垂涎モノな作品であるほど、ベジータのカカロットへの感情が爆発しています。
にもかかわらず!いくら復活のフュージョンのレビューを調べてもベジータの感情に触れているものがない!! もしかして人類のみなさまにベジータの感情がまるで理解されていないのでは? そうしてベジータのすばらしさが伝わっていないことを危惧した私はベジータの感情についてここに解説をすることにしました。
さて復活のフュージョンの内容まとめについてはこちらの記事を読んでください。というか作品を見ろ。
今作のベジータの役どころはハッキリ言って残念そのものです。
時系列としてこの作品は魔人ブウ編のあたりであり、カカロットとベジータは死人となっています。しかしカカロットは生前の善行が認められて肉体を与えられ、修行を続けてスーパーサイヤ人3という変身までできるように。しかし元来悪人であるベジータは魂だけの存在となり地獄で苦しい思いをしながら暮らすという大きな差がついてしまっていました。この辺りは本編でのピッコロのセリフ通りで好感が持てます。
今作ではあの世の法則がメチャクチャになってしまう事件が起きており、その影響でベジータが肉体を取り戻します。しかしいくら肉体を取り戻したといっても、魂だけになっていた時期のブランクがあるベジータと修行を続けてきたカカロットでは差がついていて当然。
そのためかなり情けない描写が多い。
まず真っ向から本作ボスのジャネンバに立ち向かうも、30秒で敗北。その後カカロットから救出され、さらにプライドに傷をつけられる。
ジャネンバ撃破のためにフュージョンを提案されるもプライドからそれを突っぱねるものの、今度は真正面からの攻撃をモロに食らい(その裏でカカロットは背面から攻撃されているのにキッチリ避けてる)、ショックで思わず男泣き。
しかもその後でまたカカロットに助けられて既に分かっていた実力差を追い打ちのように見せつけられプライドが木っ端微塵になり、もう黙って合体を承諾しながら俯くしかなくなってしまいます。
さらにここで初めてクソダサフュージョンポーズを知って何も言えなくなる。そしてポーズを間違う。もうこれ以上ベジータをいじめないでやってくれ。
本当に情けない。改めて見てもかわいそうになる。
しかしこの描写こそ、ベジータのキャラを理解しているからこそできる、ベジータ好きのベジータ好きによるベジータ好きのための描写だと私は思っています。
まずベジータと言われて、みなさんはどのようなキャラを思い出すでしょうか。
サイヤ人編では傲慢さと不死身っぷりを見せつけ、フリーザ編ではさらに利用できるものはなんでも利用するしたたかさが加わります。何がなんでも勝とうとするプライドはこの頃からあったことはもちろんですが、虫の息になっても這い上がる執念深さが印象的です。
セル編では以前よりあった一番へのこだわりとそれに伴うカカロットコンプレックスが強まっていきます。この頃のベジータは「スーパーサイヤ人は最強である」という固執からか、どうも真正面から敵を倒したがります。17号の言うところの武士道精神ですが、まぁ18号に負けるし完全体セルにも負けるし残念な役どころが多くなってきます。この頃のベジータが最も感情をこじらせていて好きですね。
魔人ブウ編ではプライドと守りたいモノを両方持つ不器用な男となりました。プライドもカカロットコンプレックスも継続していますが、カカロットが上であるということは受け入れているようであり(受け入れたうえでカカロットを越えたい)少し大人になった部分が見られます。またセル編ラストで垣間見えた家族思いな部分が強まったのも特徴的。後年の超でもこの辺りは強めに描写されていました。
さて復活のフュージョンでのベジータはどれかといえば、やはり時系列通りブウ編くらいのキャラ付けです。
どこかでカカロットに劣っていることは認めてはいるが、やはり負けたくはないし情けはかけられたくない。自分が一番じゃないと分かっていても、プライドは継続中なわけです。でも一番じゃないって分かっているからこそ合体することも受け入れられる、というか受け入れざるを得ない。
復活のフュージョンで描かれるベジータは、まさにブウ編のベジータなんですよ。セル編のベジータなら「あの世に来てまで俺はカカロットに劣っているのか」なんて言わずに「この俺がカカロットに劣るはずがない!」と怒り散らすだけだし、フュージョンだって意地でも受け入れなかったでしょう。
カカロットに劣っていることは分かっている。分かってはいるけどどうしよもなく悔しい。そういうブウ編のベジータらしい描写が復活のフュージョンではしっかりなされているんです。
これってかなりベジータへの理解が進んでいないと無理なことだと思うのです。ベジータがカカロットをちゃんと上に見ている上でめんどくさいことになっていると知らないとこんなベジータは描けない。
この映画がどうしよもなく好きな部分がここなんです。ちゃんとアニメ公式が推しのことを理解してくれていることがとても嬉しい。
さてそんなベジータについてしっかりと描写された最高の作品、復活のフュージョンは各種配信サイトで公開中です。いいから見てベジータを感じてくれ。
[7回]
PR
今回は劇場版ドラゴンボールの中でも最推し作品である復活のフュージョンについて書きます。
今作の特徴は「綺麗なストーリーライン」「戦闘の面白さ」「ベジータのキャラ把握」でしょう。ベジータについては感情が爆発して長くなるので別記事で。というか私的にはそっちの記事が本編です。
この話のボスキャラはジャネンバ。地獄行きになった魂たちを浄化するスピリッツロンダリング装置からあふれ出した邪気を浴びた赤鬼が変身した姿です。ジャネンバがあの世中に結界を張り、死者の法則がめちゃくちゃになってしまったというのが今作のストーリーです。
時系列的にはブウ編のあたり。あらすじを書くと
・邪気が溢れてしまいジャネンバが登場。あの世の法則がメチャクチャに。
・現世では悟飯らが奔走、あの世ではカカロットがジャネンバと戦闘。一時苦戦をするも、SS3となり圧勝。
・ジャネンバが変身し、SS3カカロットを圧倒。そこにベジータが登場するも敵わず。
・カカロットとベジータがフュージョンを成功させジャネンバを秒殺。
という流れになっています。ジャネンバと悟空(+ベジータ)の間でシーソーゲームになっている点がいいですね。
「味方側が優勢or五分という状況から敵が変身して形勢が変わる」というのはそれほど珍しい展開ではないのですが、ちゃんと展開に合わせてカッコいい描写に繋げているのが作品としての出来の良さを感じます。
変身前ジャネンバの戦い方を存分に見せ、その後SS3でジャネンバを圧倒するシーンではめいっぱいカカロットをカッコよく、続いての変身後ジャネンバはより強烈でトリッキーな戦いを披露。そして最後にゴジータがそんなジャネンバを圧倒して撃破。カッコいい。
シーソーゲームになり、ちゃんとお互いの強さを見せるからこそより両者が引き立てられる。ストーリー展開としては完璧でしょう。
さてあらすじだけ見るとずっと緊張感のあるバトルのように見えますが、しっかりバランスを見ているのも今作の特徴。
フュージョンに失敗したデブゴジータことベクウが出てきたり、ジャネンバがすっとぼけたり、ベジータとカカロットが噛み合わずコントになっていたりとギャグも豊富になっています。現世の様子なんかは絵のタッチからして完全にギャグ漫画。
シリアス:ギャグ比は4:6といったところ。締めるところはしっかり締める、されども見ていてしんどくならないように。非常に全体ストーリーの雰囲気が考えられている作品です。
また今作のボスであるジャネンバは戦闘方法がとても面白い。
空間攻撃に分身召喚にモーフィングパワーなどなど非常に多彩な攻撃を見せてくれます。中でも体をブロックのように分解しての移動方法はかなり特徴的。変身後ジャネンバはやることが大体カッコいい。
カカロットはふとしたアクションの描画が美しい。変身前ジャネンバの殴り受け止めるポーズとか、SS3カカロットが移動するシーンで床がオーラで禿げるところとか、床をキュキュっと鳴らしながら蹴り入れるシーンとか。ちょっとしたシーンが印象に残っています。
ベジータなどはもう30秒くらいでKOされかけるんですが、それでも一発華麗に決めてやるシーンがあるのが良い。もう本当にワンシーンだけでもベジータのしたたかさを描いてくれるのは最高ですね。
なんといってもなーーーーーーー、ゴジータの秒殺シーンがなぁーーーーーーーーーー。
強さの次元が違うのが分かる描写が最高ですね。ごくわずかな登場だからこそ、記憶に残るというか。あまり余計なことをせずに強さを伝える手法が美しい。
まぁ私が色々書いてもどこまで伝わるか分からないし、とりあえずアマゾンプライムで見れるので、みんなも復活のフュージョン見よう!!!!
[1回]
魔理沙は水属性であることをどう思う?
以前まで私は「実家との確執から、霧雨魔理沙は水属性であることにコンプレックスを持っている」と思っていたのですが、実はそうではないのでは?という思いが生まれてきています。
というのも、自分で書いた華扇の記事を読み返して思ったのですよ。
華扇が仙人のようなことをする理由は単純に仙人になりたいから。腕を手に入れたかった理由は腕を自分の身元に置いておきたかったから。
あれだけ怪しいところがある華扇ですが、特に何かを企むでなく単純な理由で動いていたのです。実に東方キャラらしい。
そう。東方キャラってこういうものなんですよ。大体みんながやりたいようにやっている。
そのことを再確認したうえで思った。魔理沙ってもっと単純なんじゃないか?
なんでコンプレックス持ってると思ったの?
色々考える前に霧雨がコンプレックスを持っていると私が思い込んだ要員を書き出しましょう。
まず実家と何かあったこと。
原作でのキャラ設定テキストや香霖堂で触れられていることですが、魔理沙は実家と上手くいっていないらしい。何があったかは不明ですが、とにかく実家に帰らなくなるくらいのことではあるらしい。
次に魔理沙が水属性であるのは”霧雨”という姓から来ているらしいこと。
こういう事情であるなら、水魔法なんて見たら嫌でも実家のことを連想しますよね。そりゃあ歪んだ気持ち抱きそうなものだなと。
第三に、彼女が極端に派手好きだから。
水属性の彼女には明らかに向いていないというのに、魔理沙はわざわざ逆張りとなる火属性の魔法を使いまくります。
それはもう、彼女の代名詞がマスタースパーク=火属性になるくらいに。このあたりはよく闇の創作ネタになっている印象もあり、ちょっと影を感じます。
まぁそういう理由です。金かわというジャンルがありますが、そういうものが広まるのも納得できるくらいには霧雨のそういう背景が充実しているんです。
水属性そんなに嫌いでもないんじゃね?
じゃあ今度はそうでないと思った理由をあげてみる。
だって水魔法普通に使ってたから。剛欲異聞にてボスキャラとして登場した際には「こう見えても水の扱いには慣れているんだ」と水モチーフの弾幕を披露しています。それほどコンプレックスがありそうにもない様子です。
また風神録ではコールドインフェルノというあからさまな水属性の技を使っています。別に嫌っていないのでは? コールドインフェルノ+霊撃はゲーム中たいへん強力であるので早く八卦炉を手放した方が霧雨の為になると思います。
あと火属性の魔法をよく使っているのは本当に単純に好きなだけでは? 東方キャラだし。
魔理沙は自分について深い話はしたがらないものの、好きな気持ちには正直な印象です。じゃなきゃあんなに博麗神社に通わないし、猛々しく泥棒も出来ないでしょう。
そう思えば「水属性が嫌い」というネガティブな理由より「火属性が好き」というポジティブな理由の方が似合います。
なんかこう、水属性に関してはコンプレックス抱いてないんじゃないかなぁと思ってきています。
ただ弱者コンプレックスはありそうだし、人外への憧れもありそうだし、家について嫌な気持ち持っているのは当然だしやはり霧雨はコンプレックスの塊だと思います。以上
[3回]
地霊殿やってるので攻略で気になるポイントを書きます。・1面
余計な事をしない。最後のスペルは突っ込んでボムを打つと楽ができる。パワーは2面突入時に補充可能。・2面
☆グリーンアイドモンスター
パルスィ正面最下段からジグザグ登るように打ち込む。
☆花咲爺
右下待機→3発目のタイミングで上へ移動→5発目のタイミングで左下に行くように反時計回り→8発目のタイミングで上へ…で取得できる。・3面
☆道中1
二度目の陰陽玉エリアは左右どちらかに寄って撃ち込むと避けやすい。
☆中ボス通常2
正面近くにいないと横から弾が飛んできて死ぬ。
☆怪力乱神
1回目はEnemyアイコンのnのあたりがほぼ安置。けど2回目以降も普通に難しいので死ぬ。今のところはボムが安定。
☆道中2
レーザー地帯前でボム。レーザーは案外避けやすいため頑張れ。
☆通常1
黄色弾が怖いのでしっかり避ける。4回目あたりでかなりきつくなるのでボム。・4面
☆中ボス通常1
真ん中が一番避けやすい。動くな。
☆中ボス通常2
弾抜けしながらボム。
☆通常1
真ん中隣の交差場所→真ん中大玉の間で避ける。・5面
☆開幕
左から右、右から左、左から右というように移動しながら半分だけ倒す。
☆中ボス通常1
低速で抜ける→少し高速を使って避ける。ただ今のところ移動し過ぎて死ぬ。
☆中ボス通常2
死。
☆キャットウォーク
出来そうに見えるけど死なのでボムを使え。
道中2
死。ボムを打ちまくれ。
ゾンビフェアリー
助けてくれ。多分上に行って妖精を誘導して、下に戻る。無理だが?
☆スプリーンイーター
抜けるようにして脱出。回数を追うごとにキツイのでボム。
☆針山
死。
とりあえず現状はここまでです。
[0回]
以前書いた記事にて霧雨魔理沙についての苦悩を綴りましたが、この間それを解決する答えを見つけました。
霧雨魔理沙は学問です。
友人にこのようにラインを送ったら「何言ってんだ」と返され、分かっていないようなので解説をしたところ既読スルーされました。悲しいです。
まぁなんで霧雨魔理沙は学問かというと理由は以下の通りです。
まず霧雨魔理沙は分からないことまみれです。
魔理沙は嘘吐きで、自分が頑張っているところを見られたくないようなキャラです。ゆえに本音を語らない部分が多々あります。ですので魔理沙の胸の内はよく分かりません。魔理沙のことを理解している人なんて神主含めて誰もいないと思います。
分からないことは知りたくなるのが人のサガであります。
なので色々こういうことかな~と考え込んでみますが、材料から答えを導き出すというのはなかなか難しいことであり苦しくもあります。ゆえに考えこむと疲れるしストレスにもなります。
けれど、仮説を1個でも立てられるととても楽しいんですよね。「もしかして魔理沙ってこういうキャラかも!」と思えるだけで心が達成感が満たされ、かなり気分が良いんですよ。
これってまんま勉強、つまり学問と同じなんですよ。
分かっているモノから色々考えて、検証し、自分の説を強固にしていく。私が霧雨について考えてしんどい思いをしていたのも、それでもついつい霧雨のことを考えていたのも、きっと霧雨を理解したいという探究心からだったんですよ。
探究心は人類の根源的な欲であり、ヒトをヒトたらしめる感情です。そんな強い欲求に逆らうことなど、到底無理な話。
なるほど。それならばやたら霧雨について考えていたのも納得がいきます。
あぁ。霧雨魔理沙は学問だったのか。この気付きでなんとなくモヤモヤが晴れていきました。
今後も「霧雨魔理沙とは何なのか」ということでは考えこむでしょうが、「自分にとって霧雨魔理沙はなんなのか」ということで悩むことはなくなるでしょう。
霧雨魔理沙は学問なので、どれだけ深く考察しても勉強家であるということになりますし、どれだけ強い感情をぶつけてもひたむきで努力家であるということになります。
みなさんも思う存分霧雨魔理沙について考えていきましょう。
[0回]